生 き る








昨夜、30数年来の親友からメールが入りました


高校時代の同級生の突然の訃報でした



 『今年の夏も一緒に飲んで
  タバコも止めて、運動して
  仲間内で一番健康に気を付けていたのに
     〜中略〜
  子供3人、心残りだったろうな・・・』





私自身も20年ほど前に母親を亡くしていますが
それにも増して
若い人の死は辛いものがあります


義弟、従兄弟、職場の上司、友人と
今までも多くの死に対面をしてきました

みんな30代後半〜50代前半の働き盛り
そして、みんな子供がいました


そんな場面に接する度に
生きる事について考えました

後悔をしない為には
どう生きたら良いのか?

何をすべきなのか?


でも
普段の生活に流されているうちに
いつの間にか
そんな事も忘れてしまいます





普段、生活をしていても
今日がきた事に何も感じていません

それが”普通”の事だからです

明日も”普通”にくるものだと思っています


今日がきたのも
明日がくるのも
それは当たり前の事だと疑いません


でも
それは本当は違うんですよね





”今日”と、言う日は

私達にとっては

”又きた普通の日”かも知れないけれど

昨日亡くなった人にとっては

”どうしても生きたかった明日”なんです





そう考えると
いい加減に生きる事は出来ません


生きている者の責任としても
生を簡単に諦める事も
してはいけない事なんです


家族の為に生きようと
他人の為に生きようと
自分の為に生きようと
それは
それぞれの生き方なんでしょうから
私もとやかく言うつもりもありませんが

でも
”生きる”事だけは全うしなくてはなりません



生きたくても生きられなかった人の為にも
そして何より自分の為に

”生きる”事に一所懸命になりましょう

いや
ならなくてはならないのです



どんなに辛くても
哀しくても
寂しくても
悔しくても

心残りを残して逝かなければならなかった事

それ以上に辛い事は無いはずです




そんな当たり前な事を
友人の死で改めて思い知らされるなんて
私もつくづく学習能力の無い男なんでしょうね


自分への戒めも含めて今夜は書いてみました




心を込めて
遠い十勝の地より

合掌・・・



































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