意味 〜青の自由〜







”青い”と言う言葉は
しばしば未熟さの代名詞として用いられる

未熟と言うと
あまり良い意味には使われないが
しかしそれは言い換えると
可能性を秘めていると言う事でもある

少なくとも
成熟している人間よりは伸び代はあるはずなのだから

そして
未熟さ故の純粋さ

これも本当はとても尊い物なのだ


若い頃・・・つまり、青春時代と呼ばれていた頃

やりたい事にいちいち理由なんか付けてはいなかった
やりたい事をやる事に意味なんか考えた事も無かった

「やりたい。だから、やる」

理由はそれ以上でもそれ以下でも無く
意味を考える事に意味は無かった

もちろん
結果なんか恐れた事も無かった

だから、失敗も後悔もたくさんしてきた
だけど、結果以上に得たものだってたくさんあった


そんな経験をたくさん積んで人は大人になっていく


でも、大人になると
今度はその経験が色々な邪魔をする


まず大人が考える事
それは自分を正当化させる事

つまり理論武装をして自己防御をするのだ

やりたい事をするのにいちいち理由を探して
何かしらの意味を持たせないと動けないくせに
挙げ句の果てにはダメだった時の言い訳まで先に考えて

そして、いつしかやりたい事が出来なくなる


やる前から結果ばかりを考えて
やらない理由を家族や他人のせいにして
やれない理由に自分自身を納得させて

そして、何もかも分かった風な顔をする


「やりたい事と出来る事は違うんだよ」

「あー、そんなんじゃなダメに決まってるよ」

「それに何の意味があるるんだ?」

「第一、生活はどうするんだい?」

「全く怖いもの知らずだな」

「もっと自分自身をちゃんと知らなきゃ」


やりたい事を出来もしない大人が口先だけで人生を語る

そんな大人になってはいないか?


無鉄砲に裸で走りだせる若者を
大人はいつも冷ややかな目で嘲笑っているけど
鎧だけが重たくなって動けなくなった大人よりは
遥かにたくさんの自由を持っている


「俺の若い頃は・・・」

そう自慢げに語る大人を見て若者は思う

「若い頃は分かったよ。じゃぁ今、自慢出来るものは何?」

大人はきっと、こう答えるだろう

「守るものがあるって事だよ」


もちろん、守るべきものがあるのは自慢をしても良い事だ

でも、それじゃ答えにはなっていないって事も
本当は大人自身も良く分かっている

ただ、そうは言えないだけ

自分だけの自由を表に持ち出してしまったら
他の全てが嘘になってしまうかも知れない事が怖いから?

そう思う事自体が本当は自由ではないんだよね


そして、こう言う

「青臭い論理など何の意味も無い事だ」


大人もかつては青臭い論理を振りかざす若者だった
今はもう自分でも忘れているけど

でも、忘れたのはそれだけでは無い


それこそが若者にとっては唯一の意味なんだろう

青臭い論理とは自分に正直でいる事
与えられた自由や備え付けの正義ではなく
自分だけを信じて前に進む事

青の自由

だから
いつの世も若者には意味など無意味なのだ、きっと・・・

































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