関 係 論







お互いに
相手にモノを言う事を諦めた同士には

お互いの存在を確認する方法は
口論をする事しかないのだろうか?



お互いに
相手に何の期待もしなくなった同士には

お互いの存在を確認する方法は
ため息をつく事しかないのだろうか?



お互いに
相手に愛情の欠片も感じなくなった同士には

お互いの存在を確認する方法は
憎む術を思いつく事しかないのだろうか?







全てを分かり合えないからと
それですぐに諦めて放り出してしまう前に

ひとつでも理解出来るところがあるのなら
そこを手掛かりにしてみたら良い



突き放すのは簡単だ

でも、そこから生まれてくるものは何も無い



そもそも
相手の全てを分かる事が出来ると思う事こそ

偽善者の驕りに他ならない



むしろ
相手の全てなど分からなくて当たり前なのだ

10の内
相手の事を1つ知っていれば知人
相手の事を2つ分かっていたら友人
相手の事を3つ理解出来たら恋人
相手の事を半分許せたら夫婦

せいぜい、そんなものではないだろうか?

分からないからこそ
「言葉」を介して
お互いに分かり合おうと努力をする

そして「共感」を持てるところを探そうとする

それがコミュニケーションであり
関わりを持つとはそう言う事なんだろう



相手がどうあろうと
自分として出来得る限りを尽くした後で
それでも尚
やはり分かり得ないなら

その時に答えを出しても遅くはない






































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