幸 福









成功をした人の真似をして
同じ成功を手に入れたからと言って
それが必ずしも
自分にとっての幸福だとは限らない

何故なら
幸福の尺度は人それぞれで違うのだから

「何をくだらないことで悩んでるんだ?
 人生で成功したのなら
そんなのどっちでも良いじゃないか」

くだらないかどうかなんて
他人に判断はされたくはない

他人にとってはどうでも良いことでも
本人にとっては
生きるか死ぬかと同じくらいに
大きな問題だってこともあるのだから




世間の常識
人としての生きるべき道

法律で決まっているから
これはやってはいけない

法律に書いていないから
これはやっても許される

はたして
法律だけが生きる規範足り得るのだろうか?




人間としての倫理観は不変かも知れないが
人間にとっての価値観は不変ではない

倫理観を大切にする人
価値観を大切にする人

人が幸福になる為に必要なのはどっちだろう?

でもそれは多分

どちらでもあり
どちらでもないだろう

生き方に満足が出来れば
それは幸福なことなのだが
生き方に縛られているとしたら
それは幸福とは言えないのだから




人生における幸福があるとしたら
それはその人の心の中に占める満足感なんだろう

物欲を忌み嫌う人もいるけど
生きていく為にはある程度の物は必要だし
欲が無ければ向上心も生まれない

お金は人を狂わすというけど
生活をするのにお金は必要で
お金が無ければ
生活そのものもギスギスしたモノになってしまう

ただ、物もお金も
欲しがり過ぎるのが問題なだけだ

人の物まで欲しがるから争いが起こる

満足感

そのハードルを高くし過ぎると
幸福になれるものもなれなくしてしまうんだよね




何かの本で読んだ言葉

”我々は、自ら幸、不幸をつくって
  これに運命なる名称をつける”


そして
かの、詩人ゲーテはこういう言葉を言っています

”喜んで行ない
 そして行ったことを喜べる人は幸福である”

































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