桃の花をひと枝、飾る  2015 〜Forever〜







2008年から
毎年、三月一日のこの日
同じタイトルでエッセイを書き続けて来ました

それがこの

『桃の花をひと枝、飾る』です


(バックナンバーは私のホームページ
 『夢の樹舎』の中の<エッセイ>のコーナーに
 掲載してあります)

 http://yumenokisya.web.fc2.com/essays.htm


これらは私の文章の中でも
特に超個人的な文章で
亡き母への想いをずっと綴ってきました


母の命日は八月二十五日なのですが
何故
この日に亡母への想いを綴るようになったかというのは
過去の文章の中に記してありますので
ここでは割愛をさせていただきます




子供にとって母親というのは
父親以上に特別な存在なのかもしれません

それは私自身が父親になって尚
そう実感せざるを得ません

もちろん
父親を軽んじているとか
そういう意味ではありません

子供にとっては
父親も母親もどちらも変わらない
必要不可欠・・・
いや、そんな言葉では語れない存在なのですから


にも関わらず
<特別な>というのも一方では判然たる事実です

それはやはり
十月十日の絆ということもあるのでしょう

そこは父親がどんなに頑張っても
母親に勝てない唯一の
しかし、あまりにも大きな部分ではあります


男の子は女の子と違って
(今はどうか解りませんが)
ある時期
多分、思春期の頃から親とはあまり話をしなくなります

テレももちろんあるのでしょう

親と一緒にいるところを
友達に見られたら格好悪いなんて思ったりもしました

特に私は中学を卒業してから
親と一緒に暮らしていなかったので
親との付き合い方が解らなくなっていました

たまの帰省の時に
母親があれこれ世話を焼いてくれることさえ
<うざったい>とか
<恥ずかしい>なんて思ったものです

本当は嬉しくたって
素直にそう表現できませんでした


そんな状況が社会人になっても続き
やがて母は大病を患いました

そして数年の闘病生活の末に
母は亡くなりました

享年、数えでまだ五十九歳でした


結局、私は

親孝行らしいことは何も出来ないまま
母を見送るはめになったのです

子供が大好きだった母親に
私は一度も孫を抱かせてやることが出来ませんでした

そのことを含め
色々な後悔の想いから文章を書き始めました

それが毎年この日に書いて来た話です


今年、秋に誕生日を迎えると
私も数えの五十九歳になります

「こんな若い歳だったんだ・・・」

今更ながらに思ったりします

もし

私が今、死の淵にいたとしたら
死んでも死にきれないほどの沢山の想いがあります

何より

娘らの幸せを見届けなければ
親としての責任を果たしたことにはならない

そんな想いも強くあります

「あの時、母はどんなに悔しかったろう?
 どんなに辛かっただろう?」

思っても尚、思い切れない母の想い

それを
あの時の私はきっと何も解ってはやれなかった


まだまだ書き切れていない後悔や想いは数多くあります


そんな中

昨年、父を亡くしました

このことに関しては
あまり書いてはいませんが
私にとっては又ひとつ後悔が増えた訳です


そんなこともあり
亡母への想いを綴ることにひと区切りを付けようと思いました

多分

来年もその次の年もその次もずっと
この日には心の中で桃の花は飾り続けます


加えて十月の父親の命日には何の花を飾ろうか?

今からちゃんと考えておかなきゃな・・・

































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