桃の花をひと枝、飾る



今日は母の誕生日
生きていたら75歳になる


花が好きで、山菜取りが好きで
洒落た料理など作った事は無かったけど
母の料理は何か温かい味がした

運動会になると決まって作ってくれたのり巻き

どうって事はない
ごく普通ののり巻きだったけど
あののり巻き、大好きだったなぁ〜

高校、大学と親元を離れて学校に通っていた

夏休みとか冬休みに帰省から戻る時
決まって、のり巻きを作って
タッパに入れて持たせてくれたよね

独り、下宿に度ってから
冷たくなったのり巻きを噛みしめて食べたっけ

もう味わえないお袋の味


気配り過ぎる人だった

いつも自分の事より
周りの事にばかり気を配ってた
自分が治る見込みの無い病の中にいてさえ
尚、1人で家にいる父の事や
離れて暮らしている私の事ばかり心配していた


父は公務員だったが
母も私が物心ついた頃にはもう働いていた

農家の出面、営林署の苗畑、肉屋のパート・・・


1人息子で愚かなバカ息子はお金に苦労はした事が無い

高校で下宿生活をしてた時も
大学で東京に行ってた時も
社会人になって1人暮らしを始めた時でさえ


母が亡くなって、一段落した時
父に頼まれて母名義の通帳を解約に行った

通帳には私が生まれた昭和30年代前半からずっと
毎月2,000円、3,000円、2,000円
と、積み立てられていた

時折
大きく引き出されていたのは私への仕送りだったのか?
そして又
2,000円、3,000円と積み立てられていた

涙が溢れた


子供が好きでよく甥っ子や姪っ子を可愛がっていた
そんな母に私は一度も孫を抱かせてやれなかった


母が入退院を繰り返していた時
父は献身的に母の世話をしていた

肩を揉んだり背中や腰をさすったり
それは父の領分だと私は妙な遠慮をしていた

亡くなる前の日
母は珍しく私に背中をさすって欲しいと言った

さすってあげると母は本当に嬉しそうな顔をした

「ありがとう。 気持ち良かったわ」


「なんで、もっと早く!」

愚かなバカ息子に
沢山の後悔だけが後から後から沸いてきた



翌年私は結婚をした
母の三回忌は偶然にも娘の誕生日になった

でも
娘が母の生まれ変わりなんて思ってはいない

多分
娘の事はいつも母が見守ってくれてるんだろう
そんな縁を結ぶ為に
その日を選んで生まれてきたのだと思う

だから
母の命日は哀しむ日ではなくて娘を祝う日になった
その代わりに私は
母の誕生日である3月1日に母を偲ぶ事にした

こんな事は照れくさくてうちの奴には言えないから
何も特別な事などしないけど
心の中に桃の花の枝をひと枝、今年も飾る





                   記:2008.3.1




















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