桃の花をひと枝、飾る  〜今年、もうひとつの話〜








例えば
皆さんの親御さんが
余命数カ月と宣告されていたとしても
お見舞いに行くのに
いちいち喪服を持参する人っていないですよね?


それでは

例えば
あなたは実家から
3〜4時間離れた町に住んでいたとします

皆さんの親御さんが
余命数カ月と宣告をされていて
病院から危篤との連絡が入った場合

あなたは喪服を持参して駆けつけますか?

それとも
「縁起でも無い!」と
喪服を持参せずに駆けつけますか?


あの当時

余命宣告をされてから
母がなくなるまでの3カ月ほどの間
私はずっと
そんな葛藤に苛まれていました


私は実家から3時間ほど離れた町で
独り暮らしをしていました

携帯電話など無かった時代です

朝、家を出て出社し
仕事は外回り
それも地方に走る事の多い職場でした

その間は連絡を受ける事が出来ません


帰宅はいつも9時とか10時を過ぎる事もざらでした

帰宅をして
まずするのは留守番電話の確認です

「ほっ、良かった。何も連絡が入っていない」

でも
本当に辛いのはその後です

人間、ヒマがあるとろくな事を考えません

「急に電話が来たらどうしよう?
 明日は**の仕事の予定が入っているのに」

「そう言えば、先週は調子が良く無かったな。
 悪くなってたらどうしよう?」

「もし、電話が来たら何て言えば良いんだろう?」


深夜、独りの部屋
いつ来るのか分からない最悪の電話を待つ時間

どれだけ長く感じた事でしょう

布団に入っても考えるのは
『今、電話が来たらどうしよう?』
そんな事ばかりでした


そんなある夜
深夜も1時を回った頃
突然、電話が鳴りました

「もしもし!」

慌てて飛び起きて電話を取った私

≪おぉ、ごめん。寝てたか?≫

地元の友人からでした

「何だよ、脅かすなよ」

≪何が? 何かあったのか?≫

「いや、別に・・・」


電話を切った後も妙な動悸が鎮まりません
そして、変に目が冴えて眠れなくなりました

そんな夜がどれだけあった事でしょうか


母が余命宣告をされてから
いつ”何”があってもすぐに走って帰れるように
喪服、新品のYシャツ2枚、黒いネクタイ
そして数珠はいつも礼服用のカバンに詰めてありました

覚悟はしていたんです


土日が休みだったので
毎週、金曜日の夜になると
仕事を終わらせた後で
3時間かけて実家に走っていました

着替えをバッグに詰めて
洗面道具を入れて・・・

それから
喪服を入れてあるカバンをしばし見つけて考えます


「どうする? 持って行くか?
 でも、喪服なんか持って帰ったら
 まるで、母の死を待っているみたいじゃないか?
 でも、もし帰っている間に急変して亡くなったら
 病院の手続き、葬儀屋さんの手配、お寺さんの手配
 親戚への連絡とか親父一人に任せて
 喪服を取りに戻れるのか?
 片道3時間、休まず走ったって往復6時間。
 第一、それじゃ母が寂しがるんじゃないか?
 でも、母が亡くなったとしたら
 葬式の席で
 一人息子が喪服を着ていない訳にはいかないし。
 亡くなってまで、母に恥をかかせたくは無いし。
 せめて、立派に葬儀を務めて母を見送りたい。
 でも・・・だけど・・・
 どうする? どうしたら良い?」


普通なら
こんな事までは考え無いでしょうね

万が一
帰省中に母が亡くなったとしたって
最悪、喪服なんかはレンタルしても良いんだろうし
Yシャツなんかは何処にでも売っています

それより
『やはり、喪服を持って帰ったから亡くなったんだ』
そうなった方が嫌に決まっています

でも・・・

何でだろう?
あの時はそうは思わなかったんです

『葬式で一人息子がちゃんとしていないと
 母に恥をかかせてしまう。
 それだけはしてはいけないんだ!』

そんな思いが私を支配していました


結局
母が亡くなるまでの数カ月
親父にも内緒にしていましたが
車のトランクにいつも喪服を忍ばせて帰省していました

毎回、同じような葛藤を繰り返しながら
それでも、やはり
『母に恥をかかせたくない』
そんな想いで・・・



土曜日の午後
いつものように親父を車に乗せて見舞いに行きました

苦しいはずなのに
私達が行くと
いつも母は穏やかな笑顔で迎えてくれました

その日も他愛も無い話しをしていました

その時
母は初めて私に腰をさすって欲しいと言いました

それはいつも親父がやっていた事です

「あぁ、良いよ。何処が良い?」


私が腰をさすってやると
母は気持ち良さそうに言いました

「あー、ありがとうね。
 気持ち良いわ。楽になった」

嬉しそうに言う母

「じゃ、明日も来たらさすってやるよ」

「ホントかい? ありがとうね」

「あぁ、約束」


『なんだ、そんな事なら毎回でもやってやるのに。
 でも、予想外に嬉しそうだったな。良かった』



≪急変したので、すぐに来てください≫

病院からそう電話があったのは翌、日曜日の朝でした

慌てて病院に駆けつけましたが
すでに母の意識はありませんでした

母の手を握って名前を呼び続ける親父

私はその光景を
呆然と見ている事しか出来ませんでした

『違うだろ? お前のするべき事は』

そう言うもう一人の私に
私は何も応えられませんでした

「こんな事なら、もっと・・・もっと・・・」


それから数時間後
母は静かに息を引き取りました

母らしい穏やかな
ただ、眠っているだけのような顔でした



取りあえずの手続きが一通り終わると
医者は親父に向って言いました

「奥様はどうされますか?
 葬儀会社にご自宅まで送ってもらいましょうか?」

それを遮るように私は言いました

「連れて帰ります。そうだろ?」

親父は黙って頷きました


車の助手席のシートを寝かせて
看護師さんの手を借りてそこに母を寝かせ
後ろの席には親父が乗りました

そして
医者と看護師数名が見送ってくれた中
私達は病院の地下駐車場を後にしたのです

「さぁ、お母さん。家に帰るよ。
 疲れたろ? もうゆっくり休んで良いんだからね」

お盆明けの残暑が厳しくて
アスファルトに照り返す陽射しが
やけに眩しかったのを覚えています

それが家族3人の最後のドライブでした



何十回目だったでしょう
結果的に
トランクに忍ばせていた喪服は無事に役に立ちました

でも
それが何になったんでしょう?

私が考えるべきは
そんな事じゃなかったはずですよね

もっと、してやれる事はたくさんあったはずです

結局
余計な事を色々と考え過ぎたあまり
肝心な事は何ひとつしてやれませんでした

そして
ただ、もうひとつ後悔を増やしただけでした

しかも
取り返しのつかない・・・





































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