運 命 論







出会うのが遅かったということは
縁が無かったってことだって言う人がいるんだけどさ。
『それが運命だったんだ』と、言うなら
遅かったにせよ出会ってしまったことも
『それは運命だった』と、言って良いと思わない?


「出会うべくして出会っただけなのかもしれないけど
 そして、その時のお互いの状況にもよるけどね。
 例えば、ホントは出会っちゃいけなかった二人が
 神様の悪戯か? 悪魔の誘惑か?
 それとも
 単なる<時>の気まぐれだったのか?
 それはともかく、出会ってしまったとしたら
 その時点では確かに
 運命はその方向に流れているんだろうね」



そうだろ?
じゃ、俺だけが悪いって訳じゃないよね?
運命を振りかざして俺を悪人にするなら
それはそれでも構わないさ。
だってもう出会ってしまったんだもの。
仕方ないじゃないか。
その事実は変えられないよ。


「でも、だからって
 それを運命のせいにしたらズルいよ。
 だって、決めたのは自分だろ?」



もちろん、運命だけのせいにするつもりはないよ。
そう、決めたのは俺だし。
でもさ、もしそれが運命だったとしたら
二人が出会う為にはこれだけの時間が必要だった。
そうも言えるだろ?
その間に経験したこととかがあったからさ
出会った後の二人を幸せにするんだよ。
もし、もっとずっと前に出会っていたら
幸せにはなれなかったかもしれない。
だから、二人にはこれだけの時間が必要だったんだよ。
つまり、それが運命さ。


「まぁね。確かにタイミングというのは大切だね。
 出会いも人の縁も
 タイミングが悪けりゃ上手くはいかないものだから」



だろ?
早く追いかけなきゃならないものもあれば
ゆっくり時間をかけないとダメなこともある。
遅過ぎて逃すものもあるし
逆に早過ぎて掴めないものもある。
考えたらタイミングって難しいよね?


「そうだね」


もっと難しいのはどのタイミングが正しいのかが
その時には解らないってことだよね。
上手くいく運命だったのか?
上手くいかない運命だったのか?
どっちにしても結果論でしかなくってさ。
結局は運命なんて単なる結果に過ぎないのかな?


「あるいは、結果に対する慰みというか・・・
 『それが運命だったんだ』とか
 『それが運命なら仕方がない』とか
 そう言えば上手くいかなかったとしても
 自分に対しての言い訳になる、みたいなね。
 そんなものなのかもね」



そうだとするなら
結果が出る前から運命を論じてもそれこそ仕方ないよね。


「そうだね。
 きっと、運命というのは選択肢のことなんだろうな。
 分岐点って言った方がいいのかもしれないけど。
 さて、分かれ道に出ました。
 あなたが進める道は前と左右の道の三本です。
 どの道を選びますか?
 で、選んだ道を進んで行くと又、次の分岐点が待っている。
 そして又、その次も、その又、次も」



幾つも運命があるってこと?


「最終的なゴールが運命だったのかもしれない。
 でも、それまでに選んだ道も
 運命だと言えば言えるんだと思う。
 大きく見るなら
 その全てを総じて運命というのかもしれないね。
 人の一生って全部が繋がっているんだからさ。
 少なくとも、過去は運命だったと言えても
 それじゃ<今は?>と言われたら
 誰も答えられないよね?
 未来も一緒さ。
 希望的観測でなら言えてもね」



まぁね。


「その意味で言えば、宿命も同じかもね。
 言葉の定義はそれぞれあるにしても
 じゃ、<今はどっち?>って言われたら
 <神のみぞ知る>ってとこじゃない?」



そうだね。
それじゃ、今ここで運命を論じていても
やっぱり仕方がないんだね。


「そうだね。
 でも、誰かが言ってただろ?
 <運命は変えられる>ってさ。
 ただ、状況に流されるだけなら
 悪い目が出てしまうと誰かを怨みたくなるよね?
 そうじゃなくってさ。
 自分で決めたんだと思えば誰の責任でもなくなるよね?」



まぁね。自分の責任だよ。


「それが解っているんならそれで良いんじゃないかな。
 例え、運命が結果論でも単なる分岐点に過ぎないとしてもさ。
 運命の行く末は自分でちゃんと見届けたら良いんだよ。
 その覚悟の方が運命論よりもずっと大切なんだと思うな」


































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