秋 は 人 を








”秋は人を詩人にする。
 詩人は秋に哲学者になる。
 哲学者は秋くらいはただの人たらんとする”


「どうだい? 真理を突いていると思わないかい?」

大学の数学教授室の壁にもたれかかって
心理学者は部屋主の数学者に向って得意気に言った。

「舞い散る落ち葉を見ては人は儚さを知り
 鮮やかに染まる季節の色に人は感動をする。
 どんな人だって秋には特別な言葉を
 吐いてみたくなるものなのさ」

「なるほど。それは良く分かるよ」

数学者は相槌を打った。
我が意を得たりと言うように心理学者は続けた。

「詩人はと言うと」

「うん」

「人の喜怒哀楽や季節の花鳥風月を詠う詩人はと言うと
 その感情や目にする風景に一層の真理を探そうとする。
 どうだい?
 真理の探究。
 これは哲学者の分野だろ?」

「あぁ、確かにそうかも知れないね」

「そうさ」

「じゃ、哲学者がどうとか言うのはどうなんだい?」

「問題はそこだ。
 良いかい?
 人は詩人になる。
 詩人は哲学者になろうとする。
 じゃ、哲学者は何になるのか?」

「それで?」

「究極の哲学って何だと思う?」

「さぁね。考えた事もないよ」

「何も特別な事じゃないんだ。
 つまりね、哲学と言うのは
 一部の特殊な人間の生き方じゃ無いって事さ」

「と、言うと?」

「世の中の大多数は普通の人達だろ?
 つまり、普通の生き方の中にこそ
 人生の真理はあると思うんだよ。
 答えがそこに行きついた哲学者が
 次に取る道はと言うと
 それは普通の人に迎合をして
 その中に真理を見つけようとする。
 それに一番適した時期が秋じゃないかと思うんだよ」

「まぁ、分からないでもないけど」

「おや? どうも納得をしていないようだね?」

心理学者は怪訝な顔で数学者を見た。

「いや、そう言う訳じゃないけどね。
 毎日、数学みたいな事ばかりやっているとね。
 どうも、曖昧な答えって奴には
 お尻がムズムズしちゃうんだよ。
 落ち着かないって言うかね」

「何が曖昧なものかね。
 人生の真理って言うのは
 確かに
 追求したからって簡単には求められないけど
 その道程全てが人生そのものなんだから
 一人の人間にとっては
 決して曖昧なものなんかじゃないさ」

「いや、そう言う事じゃなくってね。
 何て言うか・・・
 真理と言うからには真理はひとつだけだろ?
 誰がとかじゃなくてあくまで普遍的なもの。
 つまり、唯一無二な事が真理なんだろうけど
 人生において、そんなものは存在するのかな?」

「あぁ、どうも。すまんね」

数学者から差し出されたコーヒーを受け取り
ひと口すすると心理学者は続けた。

「まぁね。確かにそう言われればその通りだ。
 百の人生があれば、その人にとっての真理だって
 それぞれきっと百通りもあるんだろうな。
 もし、誰の人生にとっても
 真理って唯一無二のひとつだけだとしたら
 ソクラテスの時代に哲学者は職を失っていたかもね」

「あはは。
 もし、そうだったら
 職を失った哲学者は何になっていたんだろうな?」

数学者の向かいのソファにどっかりと腰を下ろすと
心理学者は少し考えてからこう言った。

「そうだな。きっと詩人にでもなってただろうな。
 それならどんな真理にも答えを出さないで済むだろ?」

「なるほど。それは面白い見解だね。
 それは心理学的見解かい?」

「まぁ、これは個人的な見解ではあるけどね。
 心理学的見地で言うなら
 置かれている環境や状況次第で
 普通の人だって詩人にも哲学者にもなるし
 詩人にしたって、哲学者にしたって
 所詮は同じ人間だからね。
 誰だってそう言う事は有り得る話しなのさ。
 それをごく自然に行えるのが秋と言う季節なのさ。
 その意味では秋は人間にとっては
 或る種、特別な季節なのかも知れないな」

「確かに論理的にも間違ってはいないね」

「だろ?」

「あぁ、そうだね。
 但し、数学者にとっては
 秋だからどうとかは無いけどね。
 自然の摂理の中で
 繰り返し巡って来るひとつの季節でしかないよ。
 秋だからって方程式の答えが変わる事はないからね」

「そうかな?」

「そうさ。数学者にとっては
 秋は秋であり、それ以上でも、それ以下でもないよ」

「だけど、方程式だって
 答えは必ずしもひとつじゃない場合もあるだろ?」

「あぁ、それはあるよ。
 でも、答えが幾つにせよ
 それははっきりと決まっている結論にはなるからね。
 計算をする度に答えが変わる事はないよ。
 もし、そうならその答えは間違っている事になるからね」

「基本的にはそうなんだろうけど
 新しい定理が発見される事だってあるだろ?
 それによって、式が短縮されたり
 答えはともかく導き出す方法が変わる事だってあるよね」

「確かに、美しい数式って言うのはあるね。
 仮に、どんな数式をどう使おうが
 答えが合っているなら間違いではないけど
 やたら、無駄な計算を入れて
 美しくなくなってる数式ってのはあるよ」

「美しい? それは意外な言葉だね!」

持っていたコーヒーカップをテーブルに置くと
心理学者は片方の掌にもう片方の拳を叩いて
そして、さも愉快そうに言った。

「何がだい?」

「いや、数学者の君から美しいなんて言葉が出るとはね」

「そうかい?
 理路整然としていて、無駄がなくて
 誰が何処をどう見ても完璧な数式ってあるんだよ。
 それを美しいと言わないなら何て言うんだろうな?
 ボキャブラリーが貧困な私には難しい質問だね。
 美しいとしか言いようがないよ。
 しいて言うなら・・・そうだね。
 時間通りに上った太陽が予想以上に美しかった時に
 思わず声を失くすような感動があるんだよ」

「ほぉ、それは詩的な表現だね。
 君も案外と詩人に向いているかもね」

「よせよ、からかうのは。
 そんなんじゃないさ」

「いや、からかっちゃいないよ。
 例えば詩にしてもね。
 無駄な装飾のない言葉が一番人の心を打つものなのさ。
 つまり、余計な言葉を削ぎ落とす事によって
 そこに初めて
 読む人の心を挿入出来る余地が生まれるのさ。
 言葉は単にひとつの言葉ではなくて
 想像とか想いが入る事によって
 読み手の感情は増幅されるものなんだ。
 そこに感動が生まれるんだよ」

「なるほど、それは感動的な話しだね。
 でも、数式がいくら美しかったとしても
 そこに解く人の感情は入らないよ。
 余計な式は削ぎ落して終わりさ」

「でも、それが美しいんだろ?」

心理学者は身を乗り出すと
テーブルを挟んだ向かいの数学者に向って言った。

「あぁ、そうだね。
 多分、普通の人が思う美しさとは違うんだろうけど」

「そうでもないさ。
 人の感じ方なんていくつもあるもんなんだから。
 どれが正解でどれが不正解なんて事はないんだよ。
 自分が美しいと思えば
 それはその人にとっては美しいものなんだ。
 例え、他の人にとっては興味も湧かないような
 難しい数字やアルファベットの羅列だったとしてもさ」

「ひどいなぁ〜
 それじゃまるで、数学者は変人みたいじゃないか」

数学者は思わず苦笑をした。

「あはは。そんなつもりで言った訳じゃないけどね。
 つまり、朝日や夕陽を見て感動するのも
 難しい数式を見て感動するのも
 どっちも人間ならではと言う事さ。
 人間の感情や感覚には正解もなければ不正解もないし
 他人にとやかく言われる筋合いのものでもない」

「確かにね。
 だから、世の中にはまだまだ哲学者は必要なのかもね。
 人生において真理の追求は
 答えの出ない数式みたいなものなんだろうから」

「おや? 答えの出ない数式を認めるのかい?」

「まぁね。いくら優秀な数学者でも
 その人の人生は数式では表せないからね。
 ましてや、先の答えなんて出せるはずもないし。
 シミュレーションくらいは出来るだろうけど
 それが必ずしも完璧とは思わないよ。
 そこまで自惚れてもいないしさ」

「つまり、曖昧なものも認めると?」

心理学者は思わずニヤリと笑いながら言った。
数学者はやれやれとでも言わんばかりに答えた。

「曖昧じゃないんだろ?
 哲学的に言うならさ」

「いや、詩的に言ってもね」

「それも認めよう」

「それは、それは!」

心理学者は大仰な身振りで応えた。

「秋は人を・・・か」

数学者は立ちあがると窓の方に向かって歩きながら
ポツリと呟いた。

「うん?」

「いやね。最初に君が言った言葉だよ」

振り返りながら数学者は続けた。

「もしかしたら
 秋は数学者をも普通の人に変えるのかもね。
 一時間前の私ならきっと
 曖昧なものは一切認めていなかったよ」

「うん」

「それが君と話していると
 曖昧の意味さえも
 私はずっと思い違いをしてたんじゃないかって
 何だかね、ふとそう思ったんだ。
 いや、決して私の今までを自己否定した訳じゃないよ」

「あぁ、分かってるよ」

心理学者は深々とソファに座り直すと
足を組み、胸の前で両指を重ね合わせながら頷いた。

「でも、正直に言えば、少し楽になったよ。
 今までは答えを出す事にだけ一生懸命になっていた。
 答えが出ない時は自分を責めて自己嫌悪になったりね。
 自分には数学的な才能がないんだとか。
 それしか考えてこなかった気がするよ。
 いつも周りばかり気にしてさ」

「それは誰だって同じだと思うよ。
 普通の会社員だって、スポーツ選手だってね。
 でも、それでも自分を受け入れるしかないだろ?
 出来ないものは出来ない。
 でも、今は出来ないけど
 もしかしたら、もう少し頑張ったら
 出来るようになるかも知れない。
 結果的に出来ないで終わったとしても
 頑張った自分を褒めてはやれるだろ?
 それで良いんだよ、きっと」

「そうだな」

窓の向こうに沈みかけていた夕陽を
眩しさに目を細めて眺めながら
数学者は自分に言い聞かせるように頷いた。
そして、呟いた。

「キレイだ・・・」

「あぁ」

心理学者も立ちあがって
窓の方に歩くと数学者と並んで
秋の澄みきった空を紅く染めて沈みゆく夕陽を眺めた。

「何年・・いや、何十年ぶりだろう。
 こんなにゆっくり夕陽を見たなんてさ」

「良いもんだろ?」

「そうだな。
 レオンハルト・オイラーの
 『オイラーの等式』と並ぶくらい美しい」

「なんだい、それ?
 『おいらのとうしき』?
 おいらって自分の事かい?
 それは随分、しょってるね」

「あはは。違うよ。
 『おいら』じゃなくて『オイラー』
 数学者の名前さ」

「ふう〜ん、随分、紛らわしいんだな」

「それは日本人だからさ。
 で? どんな数式か知りたいかい?」

「いや、よしておこう。
 せっかくの夕陽が台無しになりそうだ」

「なんだ、400ページ分くらいの講義を
 たっぷりと聞かせてやろうと思ったのに」

数学者はそう言うと少し残念そうに笑った。

「助かるよ。
 もう少しだけは詩人の気分で居させてくれ」

「あぁ、秋の夕陽の美しさに免じてね」

「良かったよ、今が秋で。
 秋は数学者の心も少しだけ人間に近付けてくれるんだな」

「ひどい言い方だな。
 数学者だって人間さ」

「分かってるよ。
 少なくとも、この夕陽の美しさが分かるんだからね」

「まぁ、夕陽が沈めば
 また、数学に戻るつもりだけどね」

「おいおい、秋の本当の良さはこれからだよ。
 どうだい?
 学生の頃を思い出しながらさ。
 キャンパスの真ん中でビールでも飲みながら
 秋の星空の中に流れ星でも探すってのは?」

「よせよ。風邪を引きたいのかい?」

「違うよ。『秋は人を』だよ。
 秋は人を人に戻してくれるのさ。
 人間らしさってやつをね。
 たまにはこんな狭い教授室を抜け出してだな。
 友情に乾杯しようじゃないか!」

心理学者は数学者の方に歩み寄ると
大袈裟に両手を拡げて言った。

「あはは。随分芝居がかった言い方だね」

「シェークスピアじゃなくたって
 秋には臭い台詞を吐きたくなるものさ」

「そのノリで言えば俺も
 『ブルータス、お前もか?』って言えば良いのかい?
 それしか知らないんだけどね」

「君に『ロミオ様〜』って言われるよりかは良いよ」

「それはない」

数学者は苦笑いしながら言った。
それを見て心理学者は愉快そうに笑った。

「良いね、数学者クン。
 君も文学者になれるよ」

「よせよ。いくら秋でもそれはないな。
 数学者は心理学者クンほど軽くないからね」

「たまには良いだろ?
 秋は人を何にでも変えてくれるものさ。
 普段はなれないものにでもね」































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