営業マン Y氏の憂鬱





これもマーフィーの法則なのでしょうか?

忙しくて時間が無い時に限って
話好きな人に捉ってしまうなんて事は良くあります


その日もそんな日でした・・・


『今日は忙しいし
 ここは何とか10分以内に終わらせたいなぁ〜
 社長が留守ならラッキーなんだけど・・・』

その日
そこの会社では特に重要な案件も無かったので
事務的な事はさっさと片づけて
次へと急ぎたかったのです


「毎度様で〜す」

事務所に入ると
ラッキーな事に社長は接客中で
挨拶もそこそこに
急ぎで受け取る書類の確認をしていると

「じゃ、社長よろしく」

そう言ってお客さんは帰ってしまいました

『アレッ、まずいって!
 お客さん、もっとゆっくりしてってよ〜』

内心、そう叫んでいると
案の定・・・

「おっ、丁度良いとこに来たな。
 美味いコーヒーが入ってるから
 ちょっと飲んでいけや」

「あっ、はい。 いや、そんなお気遣いは」

「まぁ、良いからこっちに来て座れや」

そう言われて応接ソファに座ると
いつも愛想の良い奥さんが
コーヒーを持って来てくれました

「はい、どうぞ。
 これね、貰い物なんだけど
 とっても美味しいのよ」

「何でもな、札幌の何とかって店で売ってる
 高級なコーヒー豆だって
 娘が買って来てくれてな」

「そうですか、はい。 じゃ、頂きます」


『甘っ!』

奥さん、ミルクも砂糖も入れ過ぎです
どんなに高級な豆でもこれじゃ台無しですよ


「どうだ? 美味いだろ?」

「えぇ、やっぱり高級な豆は風味が違いますね」

担当営業マンとしては
取引先の社長夫妻の機嫌を損ねる訳にはいきません

「そうだろ? ずいぶん、高かったらしいぞ。
 ところでな、この前のあの件だけど・・・」


初めは仕事の話から始まって
いつの間にか話が横道を逸れ〜の
斜めに駆け抜け〜の
行きつ戻りつで
話が長くなるのが
ここの社長のパターンです

『やばい! 始まったぞ。
 何処で話を切り上げるか・・・』

私の頭脳はその事だけを一点に
フル回転を始めます


「でな、あれは・・・」

社長は今日も饒舌です

さり気なくチラリと腕時計を見る
社長の話が始まって10分が過ぎていました

ここの会社に訪れてからはもう15分です

『さてと、何処かキリの良いところで話を切らないと
 今日の社長の機嫌の良さからして
 下手したら1時間コースになりかねないぞ』


話好きな人の話を
なるべく早めに切り上げてもらうコツ
私が長年の経験で得た答え
それは”急がば廻れ”と言う事です

つまり
社長がどんな話しをしても
決して、反論をしてはいけないと言う事です

ひと度、反論でもしようものなら

「お前は全然、分かってないな」

そんなところから
ますます相手の闘争心に火を付ける事になり
活弁に拍車がかかります

それだけ話が長引くと言う事です

かと言って
こちらは真剣に話を聴いていると言うポーズも
きちんと見せておかなければなりません

最悪なのは相手を不機嫌にしてしまう事なのですから

話をしている相手の目をちゃんと見つつ
打つべき時に相槌を打つ

しかし
相手を無用に調子に乗せるような相槌はいけません

そこら辺の機微が難しいのですが
そこは長年の経験がものを言います

そして当然ではありますが
下手な話しの腰の折り方をしてはいけません

”丁度良いタイミングで
 相手の機嫌を損なわずに話しを切る”

それが担当営業マンとしての極意であり
また、使命なのです


とは言うものの
私のような気の弱い営業マンにとっては
これはいつもながら至難の技です

いつもタイミングを逃してしまって
相手が話し疲れるのを待つ事になってしまいます

そんな時はいつも神頼みです

『お願いします、神様!
 誰か別のお客さんが早く来ますように!
 お客さんが無理なら
 ライバル社の営業マンでも構いません!
 でも、出来るなら
 ライバル社の営業マンじゃなくて
 我が社のユーザーさんが良いのですが・・・
 いや! それが無理なら
 お客さんは来なくても良いです!
 誰か、電話を1本
 社長にかけるように仕向けてください!』


こちらの気持ちを知ってか知らずか
社長の饒舌ぶりはますますエスカレートしていきます


話し始めてから
既に30分が経過

『本当に今日はヤバいんだよなぁ〜
 この後、まだ5件も寄らなくちゃいけないのに
 誰か助けて!』


「ねぇ、Yさん?」

おっと!
ここで神の助けか?

奥さんがにこやかな笑顔で言いました

「Yさん、コーヒー、もう一杯いかが?」


『えー!? そっちですか?』

自分で顔が青ざめていくのが分かります

「い、いや、そんな奥さん、お気遣いなく」

「今更、遠慮しないで。
 ちょっと、待ってね」

「あっ、いや、奥さん、本当に・・・」

たぶん、私の声は奥さんには届かなかったのでしょう
奥さんはコーヒーを入れに給湯室に行ってしまいました

社長はこちらを見てニコニコしています

「何を遠慮してるんだ?
 で・・・続きなんだけどな・・・」


2杯目のコーヒーを口にしながら
またチラリと腕時計を見ます

40分が経過

社長の話しはまだまだ終わりそうもありません

社長の饒舌さはますます冴え渡る一方
しかも
いっこうに話し疲れて来る気配もありません


そうこうしている内に時間だけは流れ・・・


今日は話を切るタイミングを3回は逃しています

『ヤバい、マジ1時間コースだ・・・
 下手したら記録更新か???』


と、その時です

プルプルプルルル・・・

「はい、**商事です」

いつもながら愛想の良い声で奥さんが電話に出ました

『やった! 今度こそ神の助けだ!
 はいはい、社長〜 電話ですよ〜♪』

心が弾まない訳がありません

「はい、はい、分かりました。
 それではよろしくお願いしますね」

そう言うと
奥さんは無情にも電話を切ってしまいました

『えっ!? 社長に電話じゃなかったの?』

もう、泣きたくなります

そんな電話に気に留めるでもなく
社長の話しは続きます


電話に助けられると喜んだ反動は大きく
私の心はうつろにその辺を彷徨っていました


「なぁ? そう思うだろ?」

社長のひと言に我に返り
つい

「えぇ、そうですね。 全くその通りです」

「そうだろ? お前もそう思うよな?
 だいたいだな・・・」

『あっ、ヤバい!
 こんな全肯定したら、ますます話しに拍車が・・・』


そうです

相槌は打っても
無用に話しを増長させるような相槌はご法度だったのです

十分、分かっていたはずなのに

なのに、電話のショックからか
ついうっかり
社長の気を良くするような肯定をしてしまいました


とうとう1時間が過ぎました
こうなると自棄です

『えーい! 後の5件は今日はもう止めだ!』

こう一旦決めてしまうと
普段は気の弱い私でも結構、肝が据わるのです

『さぁ、社長! どんどん話しをしてみろってんだ!』


と、その時です
今度は社長の携帯電話が鳴りました

「ちょっとすまんな」

社長はそう言うと電話を取りました


『あっ、また・・・
 せっかくの切るタイミングだったのに・・・
 携帯が鳴った時点で切り上げれば良かったよな。
 でも、しゃーない。
 こうなったら、とことん・・・』

そう覚悟を決めた時

「おー、すまんな。
 ちょっと話しが長引きそうだ。
 話しの途中で済まんが
 引き取ってもらえるか?」

「あっ、はい。
 すみません、社長。 お忙しいところを長々と」

「いや、気にせんで良いよ。
 また、よろしくな」

そう言うと、また電話の相手に向かって

「すまん、すまん、ちょっと来客中だったんでな。
 で、どうした?」



結局、1時間15分でした

後、5分で記録更新となるところだったのですが
それが良かったのか? 残念だったのか?

今ではどうでも良い事です


一気に気持ちの張りが抜けていきます


「それじゃ、奥さん。 ご馳走様でした」

にこやかな営業スマイルで奥さんに挨拶をし
会社を出ると車に乗り込みました

かなりの疲労感と脱力感の中
シートに座ると
まずはタバコに火を点けました

『ふー』

さて、どうする?

中途半端な時間になったなぁ〜
そう思いながら
日報をめくって次の予定を確認します


次は・・・?

あっ、あそこの社長も話し好きな社長だ!


































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