羊に恋したオオカミの話








本当は出会っちゃいけなかったのかも知れません。
いや、それでももし
ただ出会っただけだったのなら・・・



羊のアンジーはまだ三歳になったばかりの女の子です。
羊の三歳と言うと人間で言えば18~9歳くらいでしょうか。

アンジーが子供の頃
お母さんはいつも言っていました。

「良いかい? 良くお聞き。
 何があってもこの柵を出ちゃいけないよ。
 外には乱暴者のオオカミや、ずるがしこいキツネがいるし
 そうそう!
 体が大きくて岩みたいな怖いクマだっているんだからね。
 なぁに、でもここにいたら安全さ」


アンジーはとても好奇心が旺盛な女の子でした。
いつも柵の外を眺めては
牧場の周りに咲いている色とりどりの花たちや
季節によって色を変える木立に興味をいだき
そして大きな空を自由に飛び回る鳥たちを羨ましく思っていました。


ある時、アンジーは
目の前をヒラヒラ飛ぶモンキチョウを夢中で追い駆けて遊んでいました。

あまりにも夢中になり過ぎて
アンジーは柵の隙間を抜けて牧場の外に出たことにすら気がついていませんでした。

どれだけ時間が経ったでしょう。
気がついたらお日様はもう沈みかけていました。

「困ったわ。どうやって帰れば良いんだろう?」

アンジーは途方にくれました。

その時です。
茂みがガサガサ動いたかと思うとそこにオオカミのウルが現れたのです。
どのくらいの時間だったでしょう。
二匹はお互いに驚いたまま見つめ合っていました。

と、アンジーはその相手に向かっておそるおそる尋ねました。

「あの、ここは何処か判ります?
 私、迷子になったみたいなんです」

アンジーはそれだけ言うと堰を切ったように泣き出しました。
独りぼっちが不安で心細かったのと
道を尋ねられそうな相手に出会えてホッとしたのとで
それまで張り詰めていた気持ちが緩んでしまったのでしょう。

呆気に取られたのはウルの方でした。
幸運なことに突然現れてくれた今夜のご馳走です。
いや、そのはずだったのですが
アンジーの涙を見た途端に逆にどうして良いか判らずうろたえてしまったのです。

「お嬢ちゃん、もう泣かなくて大丈夫だよ」

その自分が発した言葉に驚いたのも又、ウルでした。

『おいおい、俺はどうしちまったんだ?
 労せずして今夜のご馳走が向こうからやってきてくれたんじゃないか。
 他の奴らが嗅ぎつけてくる前にとっとと頂いちまおうぜ』

気持ちとは裏腹にウルはアンジーに言いました。

「さぁ、付いておいで。君の牧場まで連れて行くよ」

「あなた、私の家を知っているの?」

「あぁ、知ってるよ。大きな牧場だもんな。
 さっ、こっちだ」

アンジーは何ひとつ疑うこともなくウルの後をついて歩きました。
そして、やがて見覚えのある風景が見えてきました。

「ほら、あそこだ。ここからなら一人で帰れるな?」

「はい、ありがとうございました!」

アンジーはウルのお陰で無事に牧場に戻ることができました。


「まぁ、アンジー。何処に行ってたんだい?
 オオカミに喰われてしまったんじゃないかって心配してたんだよ」

「親切な犬さんに助けてもらったの」

アンジーはオオカミを見たことがなかったので
牧場の犬と同じような人相のオオカミを犬だと思っていたのでした。


アンジーが無事に帰ったのをオオカミは茂みの影から見守っていました。
あまり近づくと牧場の犬たちに気付かれてしまいます。

「あぁ、俺はいったいどうしちまったんだ?
 お人好しにもほどがあるぜ」

その時、ウルのお腹がグウと鳴りました。

「あぁ、ホントなら今頃は食べ過ぎなくらい満足出来ていたのに。
 なんで、こんなことになったんだ?」

この時、ウルは自分の気持ちには気が付いていませんでした。
 

それからウルは自分でもおかしいくらい
寝ても覚めてもアンジーのことばかり考えていました。

アンジーのいる牧場の近くまで何度も訪れては
遠目にアンジーが仲間達と遊んでいる姿を見てため息をついていました。

ある時、アンジーの姿ばかりを気にしていて
いつもより牧場に近づき過ぎているのに気が付いていませんでした。

『ワン!ワン!ワワン!!!』

突然、牧場の方から何頭もの犬たちがウルを目がけて向かって来ました。

「ウワッ、ヤバい! 逃げろ!」

必死に走って何とかかんとか命からがらウルは逃げおうせましたが
その様子を遠くから見ていた仲間達が揶揄して言いました。

「ウル、お前もヤキが回ったもんだな。
 あの犬たちがいるかぎり俺達は命が幾つあっても足りねぇ。
 あそこの羊のことはもう諦めな。
 エサを狩るにゃここだって十分に良いぜ。
 ウサギだってネズミだってたくさんいるんだから食うもんにゃ困らないさ」

もちろん、ウルは羊を食べたくて牧場に通っていた訳ではありません。
仲間達にもそんなことは言えませんでしたが
実際、どうしてこんなにアンジーに会いたいと思うのか
まだウルにも判ってはいませんでした。

何か今まで感じたことのないモヤモヤが
心の中で日増しに大きくなっていくのを止められなかったのです。

「何とか、アンジーに気持ちを伝えられないだろうか?
 何て言ったら良いのかは判らないけど、でもアンジーに会いたい」

思案の末にウルは一計を案じました。

ウルはアンジーに気にいられようと夜になると
ネズミを咥えてきては牧場の端っこにそっと置きました。

翌朝、仲間達と共に牧場に出て来たアンジーがそれに気づきました。

「キャッ! 何?」

ネズミの無残な死体を見つけてアンジーは思わず目をそむけました。

「そうか、ネズミは気に入らないんだな」

影でその様子を見ていたウルは今度はウサギを掴まえて殺すと
次の夜、それをまた牧場に持って行きました。

でも、アンジーの態度は前と一緒でした。

「もしかしたら魚の方が良いのかな?」

ウルは今度は大きなマスを持って行きました。


それでもアンジーは顔をしかめるばかりで
ウルが密かに持って行った”プレゼント”を一向に食べようとはしませんでした。

ウルは羊が草食だということを知らなかったのです。

その翌日、ウルがフラリと牧場の近くに行くと
柵の少し外側に手紙が置いてあるのに気が付きました。

「何だろう?」

その手紙にはこう書いてありました。

「お願いです。もう私のために小さな命を殺さないでください。
 あなたを嫌いになりたくありません」


夜、寝床を抜け出したアンジーは
いつもネズミやらウサギが置いてあった場所の近くの木の陰から
誰がそれを置いて行くのか密かに見張っていたのです。
そして、しばらくすると案の定、誰かがやって来ました。

月明かりが顔を照らし出すと、それを見たアンジーは我が目を疑いました。
それはあの日、迷子になっていたアンジーを助けてくれたあの”犬さん”だったのです。

ショックを受けたアンジーは泣きながら寝床に走り帰りました。
寝床に帰っても涙は止まりませんでした。
それほど、ショックだったのです。

眠れない夜を過ごしたアンジーは次の日、
せいいっぱいの気持ちを込めて”犬さん”に手紙を書いたのでした。


それ以来、ウルが牧場に来ることはありませんでした。








「ねぇ、どう思う?」

「どうって?」

「この話よ。どう思った?」

「そうだね。ちょっと切ない話だね」

「そうね。で?」

「でって・・・ねぇ、何が訊きたいんだい?」

「あなたの感想よ」

「だから、ちょっと切ないかな」

「それだけ?」

「って、まぁ・・・あれだよね。
 種が違うから解り合えないってか
 ん、結ばれない恋っていうかさ」

「ホントに解り合えていなかったのかな?」

「そうなんじゃない? 違うのかい?」

「だって、お互いに相手には気持ちは伝わってたんじゃない?
 ただ、それをどう伝えたら良いのかが解らなかっただけだと思うわ」

「なら、尚更切ないよね」

「そうなのよね。ねぇ? どうしたら良かったと思う?」

「それは解らないけどさ。例えば、もしね。
 お互いがオオカミ同士とか羊同士なら良かったのにとかしか解らないな」

「でも、人間同士だってお互いが解り合えないってこともあるわ。
 国が違ったり人種が違ったり、或いは性別が違ったりとかでね」

「そりゃまぁね。習慣や言葉の壁ってあるもんね。
 生まれたり育った風土っての? そんな環境の違いとかさ。
 だけど、同じ人間同士なら解り合える努力は出来るよね?」

「そうね。少なくとも解ろうと努力することは出来るわね」

「そうだね。お互いが自分の主張だけをしていたら無理だけど
 相手の話を聞こうとする努力をするだけでもきっと違うよね」

「あら、良いことを言うわね? で?」

「で? ・・・いや、その・・・ゴメン。
 俺は確かにいつも自分のことばかりだったかもしれない。
 さっきのことも・・・俺は自分の意見を押しつけてばかりで
 ちっとも君の気持ちを考えてなかったね、ごめん」

「ううん。もう良いわ。なんか色々と話も出来たし。
 それに私の方だって、結局は自分のことしか言ってなかった。ごめんね」

「種とかそんなのはどうでも良いことで、ホントのとこはそこじゃないんだよね」

「そうね。そう思うわ。
 で、ウルはあの後、結局どうなったのかな?」

「そりゃね。好きな子に『もう小さな命は殺さないで』なんて言われたら
 自分の好物のウサギだって掴まえられなくなるだろうさ。
 結局、ウルはアンジーに恋したばかりに狩りが出来なくなって
 死んでしまったんじゃない?」

「そんなことはないわ。いや、そうじゃないことを祈るわ。
 だって、生きるってことはキレイごとばかりじゃないもの。
 ただ、無駄な殺生はしなくなったかもしれないけど」

「野生で生きるってことはそもそもそういうことだよ。
 無駄な殺生をするのはむしろ人間の方かもね」

「どっちにしても、結ばれなくても二人共シアワセでいてくれたら良いな」

「俺は結ばれてシアワセになりたいけどね」

「俺達はでしょ?」

「あはは、そうだね」

「なれるかな?」

「なれるさ。お互いがいつまでも解り合う為の努力を忘れなければね」




































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