妄想カフェ








男は真夜中になると決まってそこにやって来る。
そう、いつも丁度デジタル時計が十二時を表示した頃だ。


いつもの指定席に座り男は持って来たノートパソコンを開く。

パソコンの電源を入れて立ち上がるまでの時間。
男は席を立ち、セルフの珈琲を入れる。
砂糖やミルクを入れる訳ではないのに
男はカップに注いだ珈琲をスプーンで一回掻き混ぜる。
まるで決まった儀式でもあるかのように。


席に戻ると男はテーブルの上に置かれた真新しい灰皿を横目に
胸ポケットから猫の模様の携帯灰皿を取り出し
そして水色の百円ライターで煙草に火を点けた。

パソコンの画面と男の間の空間を揺らすように紫色の煙がたなびく。

その時
紫色のスクリーンに浮かび上がる男にしか見えない映像。

拡散された煙に揺れる
誰かの想い出に取り残された
その断片のような映像を男は丁寧に拾い集めると
キーボードの上にひとつひとつ文字として落としていく。


やがて断片的だったそれぞれの言葉達が
パソコンの画面の中で並び替えられ
そして、時には幾つもの装飾を纏い一片の絵画になっていく。


飲みかけの半ば冷めた珈琲が
最後の香りを振り絞って男にその存在をアピールしている。

だが、男はそれには気が付かない。
抜け殻だけをここに残して今、男はここにはいないのだ。


男の脳内に拡がる無限の宇宙。
ただ見ていれば単なる煌めきにしか見えないもの。
しかし男にとっては
そこに見える星のひとつひとつが意味のあるものだった。
いや、それらはかつて縁だったと言った方が正しいのだろう。

時に懐かしく男に微笑み、男も又、微笑みを返す。
時に切なく胸を締め付けるのは後悔か?
或いは、止めどない哀しみか?


フラッシュバック、そして巻き戻される時間。

かつての男がそこにいた。

誰かと笑っていた。
独りで泣いていた。
他愛もないことで悩んでいた。
根拠のない自信に満ちていた。

あの頃の夢や希望も挫折すらも
今は何もかもが愛おしい・・・そう男は思っていた。


緩やかに流れる時の海を行きつ戻りつ男は漂っていた。
いつか感じていた温もりを懐かしみながら。


どのくらい時間が経ったのだろう?
気が付くと男は青く拡がる空に浮かんでいた。

スローモーションのようにゆっくりと
左の端から虹が伸びてそれは大きなアーチになった。


男はその虹に腰掛けると通りかかった雲に訊いた。

「ここはどこだい?」

雲はただ笑って通り過ぎていった。

男は今度は髪をなびかせた風を掴まえると尋ねた。

「ここはどこだい?」

風は面倒くさそうに答えた。

「やれやれ、まだ気が付いていないのかい?
 ここはこれからお前さんが知るべきところだよ。」

「知るべきところ? それは・・・?」

「何、焦ることはないさ。
 お前さんはただ受け止めれば良いんだ。」

男はその言葉に従って大きく息を吸い込むと
そして、静かに目を瞑った。


やがて、男は目を開けると
目の前のパソコンの画面に向かって
ただ無心に受け止めたばかりの言葉を落としていった。


今夜紡がれるはずの物語の半分はまだこの世にはない。
いつ生まれて来るのか?
それを知っている人もない。
もちろん、それは男にも判ってはいない。
ただ、確信だけはしていた。

自分だけがこの物語を完結できるのだと。


男は今夜も冷めきった珈琲を横にパソコンに向かっている。





























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