ナミダボタン









「アタシ、泣けない女なの」

半年ぶりに突然、現れて
何を言い出すかと思ったら由香里はそうポツリと呟いた。

「可愛くない女よね」

「なんだ、分かってんじゃん」

「悪かったわね」

そう言ってむくれた顔は怒っていると言うより
むしろ寂しげな表情だった。

「で? 今度はどんな奴にフラレたんだ?」

「・・・」

「まぁ、無理に言わなくても良いけどね。
 武士の情けじゃ。問わずにいてしんぜよう」

「ぷっ!」

噴き出した由香里は久しぶりにその笑顔を見せた。

「何よそれ? 祐二、あんたはいつから武士になったのよ?」

「あはは。でも、お前さぁ〜 笑ったら美人なんだからさ。
 ちょっとは愛想良くしたら?
 彼氏とデートをしていて
 『何を食べたい?』とか、『何処に行きたい?』とか言われても
 どうせ、いつもみたいに『別に』とかさ。
 そんな感じだったんじゃないの?
 そりゃ、彼氏にじゃなくたってフラレるわ」

「失礼ね。フラレたんじゃなくてアタシがフッたの」

「へっ? なんで?」

「確かに、あんたの言う通りだわ。
 アタシ、愛想が無いんだよね。
 分かってるんだけどさぁ〜
 でも、愛想笑いなんてアタシのキャラじゃないんだよね」

「ん〜 よっく分かるわ〜」

「もしかして、ケンカを売ってる?」

「いやいや。とんでも!
 って、言うかさ。
 そもそも、『可愛くない女』だって言ったのお前じゃん?」

「だけどさ。普通は『そんな事はないよ』とか言わない?」

「言って欲しかったのか?」

「・・・」

「だろ?(笑)」

「でも、どうして好きでも無い男に愛想良くしなきゃならない訳?」

「なんだそれ? お前。好きでも無い男と付き合っていたのか?」

「そりゃ、最初は良いなって思ったんだよね。
 イケメンだし、優しかったし・・・
 でも、それだけ。
 なんか違うのよね。
 でも『付き合う』って言っちゃたし、付き合わなきゃいけないでしょ?
 これでも、4〜5カ月くらいは頑張ったんだよ」

「何を頑張ったんだよ?
 それなら、すぐに止めれば良かったじゃん?」

「だよね。何でだろ?」

やれやれと言ったポーズで俺は肩をすくめてみせた。

「アタシね・・・これでも2カ月くらい落ち込んでた。
 なんかね。自分が嫌になって」

「うん」

「アタシはきっと一生結婚なんて出来ないんだろうな」

「・・・」

「ホント、可愛くないよね?」

「あぁ、そうだね。
 お前さ。別に無理して愛想良くなんかしなくても良いけどさ。
 でも、少しは自分に素直になったら?
 嬉しい時は笑う。悲しい時は泣くとかさ」
 
「でも、泣けないよ」

「お前、落ち込んでいたって言ったよな?
 その時は独りだったんだろ?
 なら、自然に泣けたんじゃないのか?」

「ううん。自分が嫌になるほど悲しかったけど泣けなかったわ」

「フッたフラレたとかじゃなくたってさ。
 心が折れそうなくらい悲しい時だってあるだろ?
 そんな時はどうすんだよ?」

「それよりもっと悲しい事を思い出すようにするわ。
 そしたら、今の悲しい事なんて何でもなくなるし」

「それって辛いだろ?」

「人に裏切られるよりマシ」

「人を信じてないのか?」

「そうでもないよ。
 ただ、信じ過ぎてないだけ。
 人の心って変わるもんだもの」


確かにそうだ。
人の心ほど変わりやすいものはないよね。

信頼をしていた人にもし裏切られたら?
そう思うと人を信用する事も愛する事も恐くなる。

それは分かるけど・・・

だけどさ。
それを怖れてばかりじゃ誰も愛せないじゃないか。




由香里と初めて会ったのは高校3年の春。

もうじき10年になる。

その間、一度も俺達は付き合った事は無いし
俺も好きだなんて言った事もない。

それを許さない壁が由香里にはあった。

いつも何処か冷めていて
騒がしい友達の輪からはいつも離れていた。

確かに美人だったけど
その分、何処か近寄り難さがある女子だった。


だから同じクラスと言っても
1学期の終わりくらいまではろくに話した事も無かった。


1学期の期末テストが終わると
高校生活最大のイベント「文化祭」があった。

文化祭では恒例の仮装パレードが行われる。
各学年、各クラスで思い思いのテーマで山車を作り
仮装をしながら高校から街の中心街を練り歩くのだ。


「はい、では次は山車パートですが
 誰かリーダーの立候補はいますか?」

学級委員長の山田がクラス中を見渡しながら言った。

「面倒くさいよな」

「あぁ、帰りも遅くなるしなぁ」

「誰かやれよ、誰か」

みんながめいめいに勝手な事を言っている。

「静かに!
 じゃ、僕が指名しても良いですか?」

みんなを鎮めて山田が言った。


「それなら加藤で良くない?
 あいつ、絵が上手いしさ」

「おー、良いね。決まりだ!」

「ちょ、ちょっと! 俺なんかダメだよ」

俺は焦って立ち上がると猛反対をした。

「良いから、良いから!
 委員長、加藤祐二君を推薦します」

「賛成!」

「異議無し!」

「良いじゃん、適任!」


みんな自分が関係無いと思ったら次々と勝手な事を言い出した。


「加藤、どう?
 やってくれるか?」

「だけど、山車パートったら
 山車の製作と仮装の衣装作りもあるんだろ?
 俺、そんなの分からないよ」

「はい、山田君。良い?」

女子一番の世話好きの三好淳子が手を挙げた。

「どうぞ」

「山車パートのリーダーは加藤君で
 副リーダーと衣装担当は由香里が良いと思います。
 由香里ん家は生地屋さんだからバッチリじゃない?」

「おー、良いんじゃない、それ」

「良し、決まり〜!」

「じゃ、リーダーは加藤君に決まりました」

山田は俺を見てニコニコしながら言った。


「え〜? ちょ、ちょっと! 待ってくれよ!」

「何よ、今更。
 男なら決まった事にうじうじ言わないの!
 私達も手伝うから」

本当に世話好き・・・いや、前言撤回だ。
”おせっかい”な三好淳子はそう言うと俺の背中をポンと叩いた。

「おいおい、手伝うじゃないだろ?
 女子が率先してやってくれないと
 仮装の衣装とか、俺なんか全然分かんないよ」

「大丈夫よ。由香里がいるんだから。
 何とかなるよ」

「何とかって・・・」

「大丈夫だって。ねぇ、由香里?」

「まぁ・・・」


由香里の返事は見事にそっけないものだった。

『本当に大丈夫かなぁ〜』


「それじゃ、各パートに分かれて打ち合わせをお願いします」

そう言うと、山田はその場を締めた。



「どう? 進んでる?」

三好淳子だ。

どうも、おせっかいは全てにおいてのようだ。

「あぁ、何とかね。
 さすがに山田も責任を感じてくれてるらしくってさ。
 率先して山車作りを頑張ってくれてるし
 他の男子も思ったより協力してくれてるからね」

「山田君って責任感強そうだもんね」

三好はそう微笑みながら山田が作業をしているのをじっと見ていた。

『なぁ〜んだ。そう言う事か?』

「えっ? 何?」

「あっ、いや。何でも無いよ。
 で、女子の方は?
 衣装作りは上手く行ってるのかい?」

「さぁ〜」

「さぁ〜って。三好が自信満々に由香里を推薦したんじゃん。
 あいつってさ。
 なんかシラけてるって言うか冷めてるって言うか・・・
 でも、あいつも責任感はある奴だと思うんだけど」

「ふふ。気になる? じゃ、行ってみたら?
 加藤君、リーダーなんだから
 たまには女子の方にも来てハッパをかけてくれなきゃ」

「ハッパたってさ・・・なんか、女子ばっかだと行きにくいじゃん」

「あらっ、女子チームはいつだって大歓迎よ」

三好淳子はそう言って笑った。

「じゃ。そっちが一段落したら様子を見に来てね。
 由香里も喜ぶから」

喜ぶ? 由香里が? まさかね・・・




「おっす。どう? 順調?」

俺は山田を誘って女子の作業を視察に行った。

「まぁ」

予想通り、由香里の返事は相変わらずそっけないものだった。


「ねぇ、山田君。これ見て!」

三好は作っていた衣装を自分の肩に当てて言った。

「おー、良いね」

山田の言葉に三好は我が意を得たりと言う風で
自慢げにクルクル回って見せた。

「でしょ? もう、お姫様気分よ」


今年の衣装は男子は海賊らしいけど
何故か女子はお姫様なんだとか。

まぁ、いったい誰が首謀者かは言わずもがなではあるけど。


「あー、なんだ。だいぶ出来てんじゃん」

「そりゃそうよ。なんたって、内のリーダーは由香里だもん。
 私もいるしね」

三好は得意満面の笑顔でVサインをして見せた。
その傍らで由香里は二コリともしないで黙々と裁縫を続けていた。


「あっ、ほら。これ男子のよ。
 カッコ良いでしょ?」

見ると男子の海賊衣装は・・・

衣装と言えるのかどうかも怪しいところだったが
海賊が良く被っている帽子だとか
薄汚れた色のベストだったり。

「ん? ねぇ、これってもしかして眼帯?」

「いやねぇ〜 眼帯じゃないわよ。アイパッチって言うのよ」

「何が違うんだ?」

「その方がカッコ良いでしょ?」

三好はそう言うと面白そうに笑った。

「おいおい。でも、何かさ〜
 男子のって小道具みたいのばかりじゃん?」

「そう? あっ、そうそう! サーベルもあるよ」

「だぁ〜かぁ〜らぁ〜 そうじゃなくってさ」

「何よ? 由香里のセンスに問題があるって言うの?」

「いや、そうじゃないけど・・・」

そう言いながら俺は由香里をチラッと見た。

由香里は相変わらず
我関せずとでも言う風に黙々と裁縫の手を動かしていた。


「男子はこのベストの下に白いカッターシャツか何か切れば
 それらしくなるじゃない?」

「ってかさ。もしかして、女子の衣装にばっか力を入れて
 男子のは手を抜いてないか?」

「あはっ、バレた? 実は、女子の衣装で予算がさ」

「お前なぁ〜 おい、山田。どう思う?」

「あらっ、山田君は女子の味方よね?」

「ま、まぁ・・・」

「ほらね」


おいおい、山田。
お前、付き合う前からもう三好に尻に敷かれてるのかよ?

ってか・・・もしかして、こいつらはもう付き合ってるのか?
まさかと思ってたから山田にも訊いた事は無かったけど。
でも、三好はあの通り明るい奴だし
山田は責任感もあるし
何たって委員長に選ばれるくらいだから人望もある。
二人ならきっと似合いのカップルになるんだろうな。


ともあれ、そんなこんなの内に
山車も衣装も無事に完成をして後は本番を待つばかりとなった。



大盛り上がりの中
(それは自分達だけだったかもしれないが)
仮装パレードも無事に終わって
高校に戻った僕達はその衣装のままで夜のキャンプファイヤーを待っていた。


「なぁ、山田」

「ん? 何?」

「お前さ。もしかしたら、三好と付き合ってる?」

山田は急に照れて頭を掻きながら言った。

「あっ・・・バレてた? うん。実はさ。
 この前、作業で帰りが遅くなった時に三好を送って帰ったんだ。
 色々と話をしている内に、『こいつ可愛いな』って思ったんだよね」

「お前さ。それ、見事に三好の術中にハマったんだよ」

「えっ? 何がさ?」

「三好さ。前からお前の事が好きだったんだよ。
 山車を作ってる時も何度も見に来てたじゃん?
 あれは、お前が目当てだったんだぜ」

「えっ? そうなのかなぁ〜」

「までも、お前らはお似合いだよ。
 今夜のフォークダンスはもちろん誘ったんだろ?」

「あぁ」

「そっか。頑張れよ」

そう言うと俺は山田の背中をポンと叩いた。

「おいおい、痛いよ。ところでさ」

「ん? 何?」

「お前らはどうなんだよ? お前と由香里」

「どうって? 別に俺らは何でもないよ。
 あいつはきっと俺らみたいなガキは相手にしないよ」

「そうかなぁ〜 でも、三好が言うには
 もしかしたら、由香里はお前に気が有るのかもって」

「まさか」

「だってさ。
 そうじゃなきゃ、由香里があんな面倒を引きうけるはずがないって。
 お前がリーダーだから引きうけたんじゃないかって言ってたけど」

「そんな事はないだろ。
 話しかけたって、あいつはいつもそっけなかったしさ」

「それが”あいつ”なんじゃない?
 でもさ、三好が言ってたんだけど。
 由香里って昔はあんなじゃなかったんだって。
 いつもクラスの中心にいて、いつも笑っていたって」

「あいつが? まさか」

「中2の時にあいつの両親が離婚してさ。
 今はお母さんと暮らしているんだけど
 あいつ、お父さんっ子だったんだって。
 だから、お父さんと離れて寂しかったんじゃないかな。
 あいつにしたら両親に裏切られたみたいな想いもあったんだと思う。
 それからだって。
 由香里があんな風に冷めてるって言うかさ
 みんなの輪から離れるようになったのは」

「・・・」

「なぁ、誘ってみろよ」

「でも、あいつが俺なんか相手にするかな?」

「ダメだったら、一晩泣き明かせば良いだけさ。
 俺が慰めてやるよ。一晩中は無理だけどさ」

「お前なぁ〜 他人事だと思って」

「あはは。でも、きっと上手くいくような気がするよ。
 根拠は無いけどさ」

山田はそう言ってニヤリと笑った。

待ったくもう ”他人事”だと思って・・・



日も暮れて、山車の片付けも一段落した頃
グラウンドに積んだ丸太に火が入ってキャンプファイヤーが始まった。

フォークダンスの音楽が鳴り始めると
生徒達はそれぞれ踊りの輪の中に入って行った。

こうしてみると、けっこう付き合ってる風な奴らって多いんだな。
ラジオの深夜放送でも言ってたけど
高校生がカップルになるタイミングって文化祭とか修学旅行の時なんだとか。
この雰囲気を見ていると何だか分かるような気がする。
一人より二人・・・一緒の想い出を作りたいもんな。

そんな事を思いながら俺は由香里を目で探した。

案の定、由香里はみんなの輪には入らずに
グラウンドの端にポツンと立っていた。


「よお。踊らないのか?」

俺は意を決して由香里に声をかけた。

「・・・」

「これで、文化祭が終わったら、もう俺らも立派な受験生なんだな」

「何それ? 今でもそうじゃん」

「そうだけどさ。みんなで山車を作ったり
 衣装を作ったり、ワイワイやってた時って忘れられたじゃん?」

「そうね」

「なぁ。良かったら、踊らない?
 想い出作りって言うかさ。
 まぁ、お前が俺なんかと想い出を作ったって嬉しくないだろうけどさ」

「・・・」

「さぁ、行こうぜ。早くしないと曲が終わっちゃうよ。
 良いだろ?」

俺にしては珍しく積極的な事に自分でも驚いていた。
やっぱり、この雰囲気が俺をそうしたんだろうか?

「別に・・・良いけど」

「良し。じゃ」


俺は由香里の手を引っ張って踊りの輪の中に入って行った。


フォークダンスと言えば
お互いの手を握ったり、腰に手を当てたりとか
そんな事が公然と出来るところに男子の悦びがあった。

みんなそうだったよね?


あの時の俺はと言うと
勢いよく手を引っ張って行った割には
いざ、踊りの段になると手を握ると言うより
お互いの指先を頼りなく握りあって
傍目に見てもぎこちないものだったと思う。

あの場の雰囲気をもってしても
俺はそれ以上、由香里に近づけなかったし
由香里もそれ以上近づいては来なかった。


『由香里が俺に気があるって? やっぱ、そんな事は無かったんだ』


俺は踊りながら、時々由香里の顔をチラチラ見ていた。
でも、由香里は黙って前を向いていただけだった。



そして、それから何も無いまま俺達は高校を卒業した。

由香里は地元に残って実家の店で働きだした。
母一人、娘一人、お母さんの手伝いもしたかったのだろう。
無愛想な由香里に接客業が務まるとは思わなかったが
でも、後でそれとなく聞いた三好情報ではそれなりに頑張っているらしかった。

俺は地元を離れて東京の大学に入った。

それで、俺達の関係はただの同級生で終わるはずだった。



大学を卒業した俺は地元に戻って就職をした。


そんな或る日、山田から電話が入った。

「よお。久しぶり。戻ってきたんだって?」

「あぁ。お陰さんで就職も決まって、今じゃ立派な新人サラリーマンさ。
 毎日、こき使われてるよ。お前は?」

「俺も同じさ。毎日、営業周りでさ。もうヘトヘトだよ」

「何処も同じかぁ〜」

「そうだな」

「そう言えば、三好はどうした?
 まだ、付き合ってるのか?」

「うん、まぁ。それでさ。今度集まらないか?
 久しぶりにゆっくり話もしたいし。それに話しもあるしさ」

「話し? 何だよ?」

「ん〜 それは会った時に話すよ。
 今度の土曜日にどうだ?」

「OK」

「良し、決まった。じゃ、土曜日に」

「おう」



次の土曜日、約束の居酒屋に俺は向った。

『まだちょっと早いかな?』

そう思いながら、店に入ろうとしたら後ろから声を掛けられた。

「加藤君?」

振り向くと
そこにはTシャツにジーンズ、長い髪を後ろにまとめた由香里が立っていた。
高校時代は制服姿と体育ジャージ姿しか見た事が無かっただけに
飾り気のないその姿が逆に大人っぽく見えた。

「えっ? えっ? 由香里?」

自慢じゃないが
その時の俺の動揺は半端無いものだったのは言うまでも無かった。

「由香里。どうしてここに?」

「淳子から電話をもらったの。とりあえず来いって」

「山田の奴。そんな事はひと言も言ってなかったぞ」

「何?」

「あっ、いや・・・なんでもない。
 元気そうだね?」

「まぁ」

相変わらず返事は素っ気ない。
まぁ、それも由香里らしいと言えば由香里らしいのだが。


「おっす、早く入ろうぜ」

その言葉に振り向くと今度は山田と三好が仲良く並んで登場だ。

「加藤君。久しぶり〜」

「あぁ。久しぶり」

「相変わらず、硬いわね」

三好はそう言うと屈託なく笑った。


久しぶりの再会に何度も乾杯をしては
俺達はほろ酔い気分で4年分の積もり積もった話しをした。

とは言っても、その内の4分の3は三好が喋り
由香里はただ頷いたりするだけで
それもあの頃と変わった事では無かった。

「で? 山田。話しって何だよ?」

「あぁ。そうだな。話しね・・」

山田らしくなく、妙にもったいをつけると
山田は三好をチラッと見た。

「実はさ。俺達、秋に結婚をするんだ」

「えへへ」

そう言うと山田と三好は顔を見合わせて二人で照れた。

照れたと言うよりは、すでにとろけていると言ったところか?

「そっか。山田。三好。おめでとう!」

「じゃ、もう一回乾杯しよう!」

「乾杯〜〜〜!」

「えへへ。ありがとう」


「ねぇ? 知ってた?」

俺は隣の由香里にそっと耳打ちをした。

「まぁ」

相変わらずその返事かい?
俺は苦笑するしかなかった。

「ん? 加藤、どうした?」

「いや別に。みんな変わって無いなって思ってさ」


山田と三好のたっての願いで
俺と由香里はそれぞれの友人代表のスピーチをする事になった。



「じゃ、おやすみ。あっ、加藤。由香里をちゃんと送ってやれよ」

「あぁ」

「加藤君。狼になっても良いわよ」

三好は悪戯っぽく笑った。

「いや、加藤はそんな奴じゃないんだからさ。
 まぁ、あれから4年経って今はどうか分からんけどな」

「よせよ。由香里が困ってるじゃん」

「別に」


別に? それってどう言う意味だ?

俺が狼になって襲っても良いって事?
いや、そもそも俺の事なんか眼中に無いって事か?
そう考えた方が無難なんだろうな。
なんせ、あの由香里だからなぁ〜

「どうしたの?」

由香里が怪訝そうな顔で俺に訊いた。

「えっ? あっ、いや・・・なんでもないよ」


由香里を送っている道すがら
俺はさっきの由香里の「別に」の意味がずっと頭を離れなかった。

でも、それを悟られないようと
俺は次から次と他愛も無い話しを続けていた。
話すのを止めると襲ってくる沈黙に耐えられないような気がしていた。

高校の文化祭の話、修学旅行の事。
とにかく、思いつく限りに話し続けた。

由香里はと言うと、相変わらず
「そうだっけ?」とか「そうね」とか
気の無い相槌を打つだけだった。

『由香里は今、付き合っている奴はいるんだろうか?
 それとなく、三好に訊いておけば良かったかな』


由香里の家の近くまで来た時。

「ここで良いよ。すぐそこだから。ありがとう。それじゃ・・・」

そう言って由香里は駆けかけたが
何を思ったか、立ち止まると俺を振り返って言った。

「加藤君。今日はありがとう。
 久しぶりに楽しかったわ」

それは初めて見た由香里の笑顔だった。



次の夜、三好から電話があった。

「あの後、どうしたの?」

「何が? どうしたって・・・別に。
 ただ、家の近くまで送って行って別れたよ。
 色々と想い出話しもしたけど、それだけだよ」

「なぁ〜んだ。そうなの?」

「すまんね。お前を喜ばせられるような話も無くて(笑)」

「実はね。由香里には今、付き合っている人がいるんだけど
 でも上手く行ってないみたいなの。
 それで、もしかして加藤君に会ったら
 何か変わるかもと思って誘ったんだけど…
 ごめんね。余計な話しだったよね?」


そうだな。
一番訊きたい話しでもあったし、一番聴きたくない話しでもあった。

思わぬ形ではあったけど、どっちにしても結論は出た訳だ。
山田の結婚式で会ったらもう会う事は無いのかも知れない。
会ったとしても、それはただの同級生として・・・それだけだろう。



山田と三好の結婚式当日。
大勢の仲間や親兄弟、親戚に祝福されて教会での結婚式は無事に行われた。

その後、教会に隣接した会場に場所を移して披露宴が始まった。
俺と由香里は新郎新婦の雛段の前の円卓。
友人代表と言う事で
祝辞を述べるそれぞれの会社のお偉いさんに交じって席が設けられていた。


「残念だったな」

俺はそう由香里に話しかけた。

「何が?」

「ブーケだよ。三好がせっかく由香里を目がけて投げてくれたのに
 寸でのところで、何処かのKYなオバサンに横取りされたろ?
 あの人ね。三好の親戚のオバサンなんだって。
 もちろん、旦那もいるって。なんか、三好一族って感じだよな(笑)」

「あっ、そう」

「あれっ? 残念じゃないの?」

「別に」

「なんだよ。結婚するつもりはないの?
 普通は女の子なら『次は私』って思うんじゃない?」

「残念ながら、アタシはそんなキャラじゃないし」

「でも、花嫁の投げるブーケって縁起物みたいなもんじゃん?」

「何それ? そんな言い方をする人って初めて聴いたわ」

「縁起物には目が無くってね」

「なら、祐二が受け取れば良かったじゃん」

「アホか! それこそ、KYって言われるわ」

「ぷっ。ホント、それじゃバカみたいだよね」

珍しく由香里が噴き出して笑った。
その後で慌てて周りを見渡すと
顔をしかめるお偉いさん方に向って小さく頭を下げると俺に向って小声で言った。

「止めてよね。笑わすの」

「シー。ほらっ、新郎新婦の入場が始まるぞ」

俺は澄ましてそう言うと心の中でニンマリとした。

『そっか、由香里でも噴き出す事があるんだ』


俺と由香里の友人代表のスピーチも無事に終わって
後はお決まりの宴会芸の披露や友人達の歌などで披露宴は大いに盛り上がった。
披露宴も終宴に近付くと両親への花束贈呈があったが
三好のいつになくしおらしい両親への感謝の言葉に思わずグッとくるものがあった。
で、チラッと由香里を見ると
何となくだけど
新郎新婦を見ていると言うよりは何処か遠くを見ている目をしていた。

離れ離れになってしまったお父さんの事を思い出しているんだろうか?
自分の結婚式の花束贈呈・・・でも、そこに花束を渡すべき父親がいない。

そんな事をあれこれ考えていたら、涙がフッと湧き上がってきた。

「泣いてるの? 祐二、あなたは優しい人だね」

「えっ? ち、違うよ。ただ、ちょっと・・・」


まさか、新郎新婦じゃなくてお前の事を考えていたなんてとても言えない俺は
しどろもどろに返事をした。



「どうする?」

披露宴が終わった後で、外に出ると
俺達は何処へと言う訳でもなく並んで歩いていた。

「何処かで飲み直す?」

「なんか、少しブラブラしたいな。
 あー、風が気持ち良い・・・」

そう言うと、由香里は大きく伸びをした。


他愛も無い話をしながら歩いていたら自然と俺達が卒業した高校の前に来ていた。

「変わって無いな」

「そうだね。まだ四年半だものね」

「もう四年半だよ」

「そっか・・・そうだね」


校舎の裏手に回るとグラウンドの所々が街灯に浮かびあがっていた。

「懐かしいなぁ〜 ねぇ、覚えてる?」

「何?」

「最後の文化祭」

「まぁ。誰かのせいで衣装作りに引っ張りだされたしね」

「それは三好だろ? 少なくとも、俺だって被害者だし(笑)」

「でも、頑張ってたじゃん」

「お前もね」

「そうだね」


本当は一緒に踊ったフォークダンスの事を言ったつもりだったんだけどな。
もしかして、わざとはぐらかしたのかな?

ん〜 考え過ぎだな、きっと・・・


「そう言えばさ」

「何?」

「この前、三好に聞いたんだけど、付き合ってる人がいるんだって?」

「・・・まぁ」

「そっか。なら今日の結婚式を見て、案外その気になったんじゃないの?」

「別に・・・」

「あはは。お前らしい返事だね」

「・・・」

「上手くいくと良いな」

それに答えずに由香里は言った。

「そう言う祐二はどうなの?」

「俺? そうだなぁ〜 未だ、我が赤い糸は行方知れずってとこかな。
 誰と繋がってるんだか。それとも、繋がる先も無くて風にユラユラなのかも」

「祐二に似合いの人はきっと可愛い人だね。
 フリルのついたエプロンなんかしてさ。
 休みの日にはクッキーとか焼いてくれるような人」

「どうなんだろうね〜
 案外、『祐二、早く飯を作れや!』とか言われてたりしてな」

「あっ、それ祐二なら有り得るね」

「誰がじゃ!」

「でも・・・やっぱり、きっと可愛い人だよ」

「・・・」

「そろそろ帰ろっか」

「そうだな」


何だろう? このもどかしい気持ちは?
何か、二人とも無理をして”核心”から逃げてでもいるかのような・・・



山田達の結婚式から二カ月が過ぎたある夜。
突然、由香里から電話が入った。

「おお、元気してたか?」

「そうでもない」

「どうした? 何かあったのか?」

「別に・・・」

「別にじゃないだろ? 何もなきゃ電話なんてくれないくせに」

「そうだっけ?」

「そうだよ」

「そっか・・・」

「で? どうした? もしかして、彼氏の事か?」

「もう関係無いよ」

「もう? 何? 別れたのか?」

「って言うか・・・大して付き合ってなかったし」

「何だそれ?」

「別に・・・」

「お前さ〜 いつもそんな調子なの? 彼氏の前でもさ」

「どうだろ・・・」

「どうだろって。お前ってさ。
 本当はそんなんじゃないくせに人前に出ると強がるよな?
 辛くないのか?」

「別に」

「ほらっ。いつもそう言って自分の本音をごまかしてるんじゃないのか?」

「別に」

「だから・・・ もっと自分の気持ちに正直になれよ。
 嫌なら嫌。悲しいなら悲しい。嬉しいなら嬉しいとかさ。
 三好みたいにさ。もっと自分を素直に出したら?」

「アタシは淳子じゃない!」

予想外にその声は由香里らしからぬ激しい口調だった。

「あっ、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ」

「分かってる・・・」

そう言うと、電話が切れた。


自己嫌悪とはこういう事を言うのだろうか?
そんなつもりじゃなかったのに、俺は余計なひと言を言って
きっと由香里を傷付けてしまった。

『これで、本当に終わりだな・・・』


ところがそれから又、数か月してから由香里が今度は突然会いに来た。

前回の電話の件など何も無かったかのように
お互いに当たり障りのない話をしてその日は別れた。



それから、数か月毎に・・・長い時には一年に一度くらいの間隔だったけど
由香里は電話をくれたり会いに来たりを繰り返すようになった。
まぁ、”繰り返す”と言う言葉を使うにはあまりに間は空き過ぎだったけど。


由香里から電話が来たり、あいつが会いに来る時。
それは彼氏と別れた時とか、そんな時だったと思う。

そして、俺はいつも由香里に同じ言葉を繰り返していた。
「もっと、素直になれよ」と。
でも、そんな言葉はいったいどれくらい由香里の心に届いていただろう?

いや、例えホンの少しだったとしても
きっと、由香里には届いている・・・そう信じていたかった。

多分、そうだろう。
だから、由香里は何かあった時に俺の事を思い出して会いに来るのだ。

俺が由香里のタイプじゃないのは十分分かっているし
もう今は俺もそれを望んではいない。
ずっと、そう思おうとしてきた・・・そう言った方が正しいかも知れないけど。



そして、つかず離れずの内に気が付いたら5年近くが経っていた。

その間、俺だって誰とも付き合っていなかった訳ではなかった。
中には1年くらい付き合った相手もいたけど
でも、そこから先には進めなかった。

友達の中には
「可愛い子なのにもったいない」とか
「どうして?」
なんて、言う奴もいたけど何かが違うと思っていた。

由香里を忘れる為?
単に独りでいるのが寂しかったから?

もちろん、誰でも良かった訳じゃない。
好きになったから付き合い始めたはずだった。

でも、そこから先に進めなかった理由・・・

それは彼女に対する負い目だったのかも知れない。

彼女を由香里と比べたつもりは無かったし
由香里の代わりだと思った事も無かったけど
彼女が優しければ優しいほど俺はひどい男になっていた。

彼女を傷付ける度に俺を襲った自己嫌悪。
誰にもぶつけようがなかった俺自身への怒りと侮蔑。

そして、そんな中で彼女は離れていった。

「もっと素直になれよ」

いつも由香里にそう言っていたけど
一番素直じゃないのは俺の方だったのかも知れない。

彼女に対しても、由香里に対しても。




その夜。
半年ぶりに突然、現れて
何を言い出すかと思ったら由香里はそうポツリと呟いた。

「アタシ、泣けない女なの」


そして、こうも言った。

「人に裏切られるよりマシ」

そう言う由香里は人に裏切られる事に怯え
人を信じる事に臆病になって
いつか自分の本当の感情すら
心のずっと奥深くに仕舞い込んでしまうようになっていた。


泣きたい時に泣けない人は
どうやって心を吐きだせば良いんだろう?

強がって自分を騙しながら吐き出せない自分の本当の心に堪えている。

そんな事くらい哀しい事はあるだろうか?
そんな事くらい辛い事はあるだろうか?


「もし・・・」

「えっ? 何?」

「もしさ。もし・・・」

「・・・」

「人の心にナミダのボタンがあるなら良いのにな」

俺は言うともなしにふと独り事のように呟いた。

「何それ?」

「人間ってさ。本当に悲しい時って泣けないんだよな。
 防御本能ってのかな?
 一度泣いてしまうと、後は堰を切ったように
 次から次へと悲しみが押し寄せてくる。
 そう思うとさ、怖いよな?
 きっと、普通なら耐えられない。
 だから、自分を守ろうとして
 心はシャッターを下ろして悲しい事や辛い事を封じ込めようとする。
 そして、泣けなくなるんだ」

「・・・」

「でもさ。思うんだ。
 そこを解放しないとさ。本当の悲しみが癒える事はないんじゃないかってね」

「あるのかな?」

「えっ?」

「アタシにも、そのナミダのボタンって・・・」

「あるよ」

「何処に? ねぇ、何処にあるの? 無いよ、そんなのアタシには。
 だって、こんなに切ないのに泣けないんだよ」

「あるよ」


俺はそう言うと黙って由香里を抱きしめた。

今まで必死に悲しみに耐え続けて来た由香里の辛さを思うと
俺はもう自分を押さえられなくなっていた。
そして又、思いっきり、思いっきり強く抱きしめた。

「ちょ、ちょっと・・・ねぇ?」

驚いた顔の由香里に構わず俺はそのまま由香里にキスをした。

その途端、由香里の目からは一筋の涙が零れた。

「祐二・・・」

俺の名前を一度呟くと
溢れる涙を拭おうともしないで今度は由香里が俺にキスをした。

そして、そっと唇を離すと俺の目を見ながら由香里は優しく微笑んだ。

「アハッ、おかしいね」

「何が?」

「悲しくなくても涙って出るんだね。
 今まであんなに泣けなかったのに・・・
 あるんだね? 本当に・・・ナミダのボタンって」

「あぁ、そうだね。今までは押してくれる奴がいなかっただけさ」

「でも、祐二はいつもアタシの話を聞いてくれてたじゃん?
 なんで、今まで押してくれなかったの?」

「さぁ〜 どうしただろ?
 きっと、素直じゃ無かったからかな。お前が」

「意地悪! 祐二、良い人のフリして案外性格悪いよね?」

「お前には負けるけどね」

「ひどい!」

そう言うと由香里はもう一度、俺に抱きついてきた。
もちろん、その顔は怒ってはいなかった。

ナミダのボタンを押したら涙ともうひとつ効果がある。
素直に笑えるようになるんだ、きっとね。


















































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