Re. 〜猫に恋した犬の物語〜




第1章


 
 
 猫に恋した犬の物語の結末なんて、初めっから分かっていたはず。
 そんな事も分からなくなるくらい本当に恋をしていた・・・あの頃・・・
 それは1通のメールから始まった。


 初めての秋。

 みいこと初めて出会ったのは、とあるサイトの書き込みだった。
 『どうせ返事なんて来るはずもない』
 そう思いながら送ったメールに返事が来たのはその日の夕方だった。

 馬が合ったとでも言うのだろうか。
 《初めてって言う気がしないね》
 そう書いた俺にみいこも
 《私もそう思ってた》
 と返事をくれた。
 まるで古くからの友人のように、初めから話が弾んだ。
 こうして、その日からみいことのメールのやり取りが始まった。


 《こんち〜 バイト終わったよ〜 ちゃんと仕事してる? (;一 一)じー》
 《こらー! 起きろー!(゙ `-´)/ 美人のみいこ様が帰宅したよん♪ 相手しろ!(笑)》
 
 いつもそんな調子で始まるメールは
 俺にとっては何もかもを忘れられる幸福な時間だった。


 みいこは俺より2歳年下で、俺と同じく既婚者だった。
 みいこの生き甲斐は二人の息子さんだと言っていた。
 特に、下の息子さんはまだ中学生で、
 今年は野球部のレギュラーになれたんだと嬉しそうに話をしていた。
 そんな息子さん達の為にと、
 みいこは昼間は喫茶店、夜はホテルの宴会係りとして働いていた。
 旦那さんの給料だけでも生活に困る訳ではなかったらしいが、
 家にじっとしているのが苦手なんだと言っていた。
 それに、何より二人の息子さん達の為に少しでも何かを残したいと。
 その時は、ただお金の事だとしか思わなかったのだが・・・


 みいこはいつも俺のメールを『アホアホメール』だと笑った。
 《ゆうじのメールっていつも楽しいよね。 この前なんか、夜に来たメールを読んでいたら
  思わず噴出しちゃったよ。 旦那が居間にいたのに焦っちゃった f(^-^; 》
 《ありゃまぁ〜 そいつはすまんかったねぇ〜 じゃ、今度からは旦那さんに一言断ってから
  書くようにするよ o( ̄^ ̄)o 》
 《旦那に? ふぅ〜ん、書けるもんなら書いてみ! ゆうじの奥さ〜ん、そんな事を言ってますけど〜》

 他愛も無い話。
 取り留めも無い話のやり取り。
 そんな時間が俺の心を癒してくれた。


 ある時、みいこは俺に訊いた。
 《ねぇ? ゆうじのとこは夫婦円満?》
 《おー、今日はズバっと直球ですか?(笑) そうね〜 お父さん、お母さんとしてだけなら
  まぁまぁってとこかな (^o^)ゞ 夫婦としては・・・ まぁ、15年も経っちゃうとね、
  段々レスになるし、ただの同居人かなぁ〜 向こうにしてみたらね(苦笑)
  給料もボーナスも振り込みだしさ〜 有難みも感じてないかもなぁ〜 (-ω-;)
  鵜飼の鵜の方がまだマシかもね。感謝してもらえるだけね(笑)
  そう言うみいこのとこはどうなのさ?》
 《レス?(笑) そこまでは訊いてなかったけど f(^-^; でも、何処も同じなんだね〜
  あっ、うちもレスだよ(笑) 私も拒否してるけど、旦那も帰って来たらさっさと自分の部屋に
  上がっちゃうしね。》
 《もちろん、最初の頃は俺も何とかしたいって思ってさ。色々と話をした事もあったけどね、
  でも、結局は根本の考え方が違うから分かってもらえなかった。
  話をしても言葉が通じないなら仕方無いなって、ある時から諦めちゃったんだ。》
 《そうね・・・分かる気がするわ。》
 《みんな、きっと何かしら心に抱えているものが有るんだよね?
  求めているものは人それぞれかも知れないけどさ〜 だから、ああ言うサイトが流行るんだね(笑)
  まぁ〜そのお陰で、俺もみいこに出会えたんだけどね(^_-)---☆ 》


 仕事でも家庭でも、言いたい言葉も飲み込んで本心を抑えて我慢をする事が多かった。
 それが社会人として、家庭人として当たり前だと思っていた。
 それが大人と言うものなんだと思っていた。
 例えば、家庭にいても心に充たされないものが有る。
 例えば、仕事で疲れた時にも家庭が必ずしも癒される場所、安らげる場所では無いって事も有るのだ。
 そんな時、それらを外に探しても仕方の無い事だって有ると思う。
 それはもしかしたら、単なる男の勝手な論理、都合の良い詭弁かも知れないけど、
 外で充たされた事によって、心のバランスが保てて、結果、家庭に戻った時に
 家庭が上手くいくなら、それも有りかななんて思っていた。

 不思議とみいこには最初から素直に自分を出せた。
 そして、みいこも俺の考えを分かると言ってくれた。
 俺はみいこと出会って、やっと自分が自分らしくいられる場所が見つかったような気がしていた。
 もちろん、だからと言って、それで家庭を壊すつもりも無かったのだけれど。

 メールをするのは、みいこが初めてと言う訳では無かったが、みいこは今までの女性達とは違っていた。
 時にはくだらない話で笑わせる事もあった。 時には愚痴を言った事もあった。
 調子に乗って下ネタを書いた時でさえ、みいこは笑って応えてくれた。
 おれがすごい楽だった。


 《ねぇ? ゆうじってどんな女性がタイプなの?》
 ある時、みいこは俺にそう訊いた。
 《そうね〜 Hな人かなぁ〜 みいこみたいなね(爆) あはは、いやいや・・なんだその・・・つまり・・
  みいこみたいに話してて楽な女性が一番だよ(^_-)v 》
 《こらー!ヘ(__ヘ)☆\(^^; それでフォローしたつもり? まったくもう (-ω-;)  》
 《あはは、許してたも〜 根が正直もんやさかい(笑)》
 《ところでさぁ〜 ゆうじもやっぱり巨乳好き? (;¬_¬)じー 》
 《なんだ? いきなり(笑) 恵まれないゆうじさんにおっぱい揉ませてくれんのか?((o(^∇^)o)) 》
 《ば〜か!(▼O▼メ)  》
 《なんだ〜 やっぱ、そんなに美味い話は無いか?(笑)
  どっちかと言うとね、胸は小さい方が好きかなぁ〜♪ 美乳ってやつ? 微乳?(笑)
  巨乳はねぇ〜付き合った事が無いからさ、扱い方が分からんのだ(笑)
  巨乳は観賞用って事でf(^o^)あはは 》
 《胸が無いのは?》
 《何〜 みいこはもしかしてえぐれてるってか?(笑) みいこならそれでも構わないよん♪》
 《えぐれてるって言うより・・・私ね・・・胸が無いの。 あはは、私が男だったらどうする?(・。- )ノ~ 》
 《みいこなら男でも我慢するよ(爆)》
 《ねぇ? 明日は忙しい? 私、明日の午後はバイト休みなんだ。ねぇ? 生みいこは見たくない?
  時間があるならお茶でもしない?》
 俺は運転をしていた車を停めて、何度もそのメールを読み返した。
 《もっちろん、OKだよ〜♪》
 俺はすっかり有頂天になった。


 翌日、約束の喫茶店に俺は行った。
 約束の時間まではまだ早かったが、仕事をしていてもどうせ手に付かない。
 10席ほどのボックスには2組のカップルと主婦らしい4人組が1組だけだった。
 俺は一番奥のボックスに座った。


 時間丁度にみいこは店に入ってきた。
 ひと目でそれがみいこだと感じた。
 案の定、みいこは一度店内を見渡した後でこっちを見るとその足でこっちにやってきた。
 「ゆうじ?」
 「はい、初めまして。ゆうじです」
 メールではいつもすんなりテンポ良く会話に入れるが、直接面と向かうとなかなかそうもいかない。
 俺は少しかしこまって挨拶をした。
 「みいこです。何だか初めて会ったって気はしないけど、やっぱり緊張しちゃうね」
 そう言うと、みいこは少しはにかんで笑ってみせた。
 「とうとう、俺の正体がバレちゃったね。こんな奴でした。ごめんね〜」
 「そんな事ないよ。思った通り、真面目そうなんで安心した。私こそこんなんでガッカリした?」
 「いやいや、とんでもございません。さすがに自分で美人だと言うだけあって
  ホント、美人なんでビックリしてたとこさ」
 「さすが、ゆうじは見る目あるね!」
 「へぇ〜 やっぱ、自分でそう言うんかい?」
 そう言うと、二人は顔を見合わせて笑った。

 ホントに、何だか初めて会ったと言う気がしなかった。
 それほど、自然に話しに溶け込めた。
 それに何より、みいこは美人とは言わないけど、確かに笑顔が可愛い人だった。

 「ねぇ? あそこのカップルって何だか訳有りっぽくない?」
 「おいおい、あんまりジロジロ見たらまずいんじゃない? それに、俺たちだって充分訳有りポイじゃん」
 俺はそう言って笑った。
 「そっか」
 そう言うとみいこも笑った。
 そんな他愛も無い会話だったが、俺にはそれで充分だった。


 それからもみいことは毎日メールを続けた。
 そして、お互いに時間が合えば、月に2〜3度はデートをした。
 いつも、短い時間だったが楽しい時間だった。
 みいことはまだ身体の関係は無かったが、そんな事はどうでも良い事だった。
 むしろ、この歳で純粋な恋愛が出来る事の方が嬉しかった。


 初めての春。
 みいことのメールも相変わらず順調に続いていた。

 春先はいつも、俺の仕事も一番忙しい時で、歳と共に、忙しさも続くと体調も辛くなってきていた。
 半分持病みたいな長い付き合いの胃潰瘍も疼きだしてきていた俺は、
 仕事も一段落をしたある日、市内の病院で久しぶりに検査を受ける事にした。
 検査を終えて、会計の前に座って名前が呼ばれるのを待っていた時、
 目も前をみいこが通りかかった。
 「あれっ? みいこ? どうしてこんな所に?」
 驚いた顔のみいこは、次に笑顔に変わり、そして言った。
 「ゆうじこそどうしたのよ? 何処か悪いの?」
 「営業マンの三大持病って知ってる?」
 「えー? 何よそれ?」
 「痔と腰痛と胃潰瘍さ。長い事、営業マンをやっていて健康な奴は仕事をしてない奴だって
  言われるんだぞ〜」
 「えー? ゆうじ、痔だったの?」
 みいこは笑いながら言った。
 「あのなぁ・・・もし、俺が痔ならみいこ相手に告白も懺悔もしねぇだよ。」
 俺は苦笑いで答えた。
 「胃潰瘍です!」
 俺はわざといじけた風に言った。
 「入院をするほどじゃないんだけどね。でも、何年かに一度は潰瘍寂しがって疼くのさ。
  胃カメラが飲みた〜いってね。お陰で胃カメラなんか慣れたもんだよ。もうプロだね。えっへん!」
 そう俺はおどけてみせた。
 「そうなの。ゆうじでも悩む事ってあるんだね?」
 みいこは悪戯っぽく笑った。
 「あのなぁ・・・俺はどんなノー天気野郎なんだよ。こんな繊細な人をつかまえてさ、まったくもう!」
 「繊細って? バリケードだっけ?」
 「あのなぁ・・・それを言うなら、デリケートって言うべ?」
 「当ったり前じゃん。でも、ゆうじの国じゃバリケードって意味なのかと思って、あはは」
 明るく笑うみいこの前では俺も苦笑いをするしかない。
 いつも、言葉ではみいこに敵わないのだ。
 「悪かったね、いっつも出来の悪いバリケードで。」
 すねる俺にみいこは
 「だって、ゆうじのメールっていっつもアホアホメールだもん。」
 「これこれ、誰がアホやねん? それはだなぁ〜 みいこ姫を楽しまそうとだなぁ〜
  結構無理してアホに徹してるんやないけ。 こう見えてもだな、俺は会社では真面目が服を着て
  歩いてるって言われてるんやで〜 どうだ、参ったか?」
 「ん〜 本人が言っても説得力無いけどね。まぁでも、病院に免じてそう言う事にしとくね。」
 みいこは笑って言った。
 「それより、みいこはどうしたんだ? 調子でも悪いのか? 笑い過ぎたとか言うなよ。
  それとも、誰かのお見舞い?」
 そう尋ねる俺にみいこは一瞬俯くと、何かを決心したかのような真面目な表情で俺の隣に座った。
 そして、話し始めた。
 「私ねぇ・・・」
 しばらく間を置いて、みいこは続けた。
 「私ね・・・乳がんなの・・・」
 「えっ?」
 俺は一瞬言葉を失った。
 「ホントに?」
 信じられなかった。いつもあんなに元気そうだったのに。あんなに笑顔だったのに。
 ふと瞬間、がんで亡くなった母親の事が頭の中を過ぎった。
 みいこは続けた。
 「三年くらい前に分かって・・・だいぶ進んでた。 それで手術をしたの。
  胸を取ったの・・・えへへ、でも大丈夫なんだよ。今は落ち着いてるし。
  一ヶ月に一度、検査に通って薬をもらってるだけなの。」
 「そうだったんだ・・・でも、ホントに大丈夫なの?」
 「うん、まぁね。今のとこは大丈夫。じゃなきゃ、二件も掛け持ちでバイトなんか出来ないでしょ?」
 「そっか・・・」
 「あっ、そろそろ検査の時間だわ。行かなくっちゃ。じゃ、後でまたメールするね。」
 そう言うと、みいこは立ち上がって、足早に病棟の方に歩いていった。
 残された俺は、会計で自分の名前を呼ばれているのにも気づかずに、
 ただ、そこに座り込んでいた。


 病院を出て、仕事に向かう途中ずっと考えていた。
 前にみいこがメールで『胸が無い』って言ってたのはそう言う事だったのだ。


 その夜、会社残って仕事をしていると、みいこからメールが来た。
 《こんばんち〜 まだ仕事中かな? ゆうじ、昼間はビックリさせてごめんね。
  でも、ホントに大丈夫だから。 ん・・・ビックリと言うよりはガッカリさせちゃったね?
  私、こんなだから・・ゆうじの期待には応えられないと思うの。
  メール・・・止めても良いよ。 ゆうじに任せる・・・》
 《確かにビックリはしたけどね。 まさか、あんな所でみいこに会うなんてさ。
  でも、ガッカリなんかしてないよ。 みいこはみいこじゃん。 それで良いのさ。
  今まで通りで構わない。 だから、メールを止めるつもりも無いよ。》
 《でも・・・良いの?》
 《良いのって何が? 俺に任せるって言ったばっかじゃん。 今まで通りだよ。》
 《ありがと・・・それじゃ、そろそろ旦那が帰って来るから。 仕事頑張ってね。》
 《うん、また明日ね。 あっ・・・でも、あんま無理すんなよ。おやすみ・・・》


 その後も、みいことは普段通りのメールが続いた。
 みいこの病気の事は確かにショックではあったが、みいこを失う事を考えたら
 それは大した問題では無かった。
 それより、少しでもみいこを励ましたいと思った。
 俺のメールで少しでも笑って貰えたら、少しでも毎日の元気の素になってもらえたら、
 そう思って俺は、メールでも会っている時でも努めて明るく振舞った。



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