最後の晩餐

<2013年 七夕ストーリー>






女はただの悪戯のつもりだった。

暇に任せて出会い系サイトの掲示板に一言。

『!』

と、書いた。



男は人生に絶望をしていた。

信頼をしていた数十年来の友人に裏切られて
無一文どころか多額の借金を背負い込んだ。

借金を返済する為に
親から譲り受けた土地と家を売り払い
男の手元には一万円札が二枚と千円札が八枚残った。
後、少しの小銭。
持ち物はと言えば少しの衣類を詰め込んだバッグがひとつ。
それが男の全財産だった。

「どうやら、他人様に迷惑だけはかけないで済みそうだ。
 さて、これからどうする?
 何だか、もう疲れたな。
 これから先、生きていたって良い事なんか無いだろうし・・・
 いっそ、これで盛大に最後の晩餐でもするか」

そう言うと男は胸ポケットから財布を取り出して
残ったお札を床に並べてみた。

二万八千円。

「これが俺が今まで生きてきた価値なのかな?」

男はひとつ大きなため息を吐いた。


今回の事で友人だけではなく
仕事も家族も一度に失っていた。

男にはもう生きる気力も残ってはいなかった。


狭いと思っていた一戸建ての家も
家具を全部引き払って何も無くなってしまうと
今はとても広く感じた。

かつては家族の賑やかな笑い声が溢れていた居間だった場所で
男は最後の時間をどうやって過ごそうかと考えていた。

ここももう今日中には明け渡さなければならなかったのだ。


ふと居間の隅っこの床に無造作に置かれた雑誌が目に入った。
余程、気の毒に思ったのか
さっき家具を引き払った時に来ていた業者の若い男が

「読むかい?」

そう言って置いて行った週刊誌だった。


男はそれを手に取ると読むともなしにページをめくっていた。

巻頭グラビアの若い女の挑発的なヌード写真や
刺激的な見出しが躍る特集記事・・・

でも、それらのどれを見ても男の心が躍る事は無かった。


ふと、出会い系サイトの広告に目が留まった。

「こんなのに引っかかるのは余程バカな奴だと思っていたな」

男はそう言って自嘲気味に笑うと雑誌を閉じかけたが
思い直したかのようにその手を止めた。

「まてよ、どうせ誰でも良いんだ。
 最後の晩餐の相手をこんなので探すのも面白いか?
 御馳走すると言えば一人くらい誰かいるかもな。
 仮に騙されたって、どうせこれ以上失うモノなんか無いんだし」


男は持っていた携帯でそのサイトのQRコードを撮ると
躊躇う事もなくサイトのアドレスにアクセスをした。


「えーっと、何? 登録名?」

男は少し考えた後で本名≪梶祐介≫で登録をした。

「どうせ、後は無いんだ。最後くらいは嘘にしたくないしな」

それから一通りの登録を終えると
早速、女性の書き込みをひとつづつ順番に見て行った。

真面目風な書き込みをしている女性もいれば
明らかに男を誘うような言葉を踊らせている女性もいた。

でも、どんな書き込みを読んでも心が動かないのは
以前に会社の後輩から聞いた話が何処かで残っていたからなのかも知れない。



「いやぁ〜 先輩。参りましたよ」

やけに神妙な顔で後輩の高木が話しかけてきた。
ただ、そう言いながらも高木の目が何故か自慢気にも見えていた。

「何だい?」

訝しげに祐介は応えた。

「いやね。この前、週刊誌に出ていた出会い系サイトに面白半分で登録をして
 その中の女の子にメールを送ったんですけどね」

「うん、それで?」

「やけに食いつきが良いと思ったんですけど
 『今時の女の子なんだな』って思ったんですよ。
 で、二〜三回やり取りをしている内に
 とんとん拍子に食事に行こうって事になって
 それで、こっちも奮発をしてフランス料理を御馳走したんですよね」

「うん」

「で、滅茶苦茶話も盛り上がって
 食事の後で次に行こうって話になったんですよ。
 先輩、解ります? 『次』ってホテルなんですけどね」

「まぁ、そうだろうね」

「それでホテルに歩いている途中で彼女の身の上話になって
 やたら、お金がどうとか・・・貸してくれとかね」

「・・・」

「さすがに逢ったばかりの女にそんな気は無いですしね。
 『あー、やっぱり、その手の女か』って解ったんで
 話を逸らして急用って事で帰ろうとした瞬間・・・
 ねぇ? どうしたと思います?」

高木の目が楽しい事でも話すかのように輝いていた。

「彼女が?」

「えぇ。ホント、その瞬間ですよ。
 何処にいたのか後ろから二人組のヤバそうな男が出てきましてね」

「『俺の女に手を出したな』って奴かい?」

「先輩、ビンゴ!(笑)」

「おいおい、笑い事じゃなかっただろ?」

「もちろんですよ。で、その時は頭の中を色々な事が過った訳ですよ。
 組の事務所に連れて行かれて、翌日には海に沈んでるとか(笑)」

高木はとことん嬉しそうに笑った。

「で、どうしたんだい?」

「『すいません、これで勘弁してください』って頭を下げて
 胸ポケットから財布を出すふりをして
 相手を油断させておいて咄嗟に男の一人に飛びかかって
 相手が一瞬怯んだ隙に、そのまま突き飛ばして一目散ですよ。
 ホント、ヤバかったんですよ」

「それで、追い駆けられなかったのかい?」

「追い駆けて来ましたよ。
 『おんどりゃ、待てくそ!』とか叫びながらね」

「おいおい」

祐介は思わず苦笑した。

「先輩。俺、こう見えても高校時代は陸上の選手だったんです。
 地区大会じゃ敵無しでしたよ」

そういうと高木はますます嬉しそうにVサインをして見せた。

「人通りの多い大通りまで出たら
 奴らもそれ以上は追っては来られませんからね。
 で、かくして今もこうして俺はピンピンしている訳です」

「全く、君ときたら」

「えへへ。でも、先輩も気を付けて下さいよ。
 出会い系サイトなんてサクラか美人局ばっかですから。
 あぁ、先輩は美人の奥さんがいるからそんな心配は無かったですね」



『美人の奥さんか・・・』

祐介は一瞬、別れた妻の顔を思い浮かべたが
何だか今となっては遠い出来事のようにも思えた。



何人かの書き込みを読み進めていると
ふと、一人の書き込みに目が留まった。

「何だ、これ? 『!』? これだけ?
 ふざけているにも程があるな」

次に行こうとしたが祐介の心に何かが引っ掛かった。
そして、その意味を考えていた。

「『!』? 『私』って言う意味の今風のアピールなのか?
 それとも、何かに怒っているのか?
 それとも・・・ただ、ふざけているのか?
 そうだな、多分そんなところだろう」

そう思いながらも祐介は次に進まずに
ずっと『!』とだけ書かれた書き込みを眺めていた。

祐介は昔から気になった事は確かめずにはいられない性格だった。
生真面目と言えばそうだったのかも知れない。
それが仕事には上手く活かされていて会社では同期よりも早い出世をしていた。
ただその分、同僚からは少し疎まれているところも有ったのだが。


しばらくそれを眺めていたが思い切ってメールをしてみる事にした。
気になった事を放ったままで死ぬのも嫌だったし
どうせ、誰でも良いのなら”気になった相手”の方が良いと思ったのだ。



≪時間も余り無いので単刀直入で申し訳ありませんが
 今夜、最後の晩餐に付き合ってくれる人を探しています。
 イタリアンのフルコースなんてどうでしょう?
 謝礼は食事代こちら持ち+一万円です≫



ただの悪ふざけなら返事は無いだろう。
そう思いながらも、それでも今更、他の相手を探す気にもなれず
祐介は携帯を床に置くと寝転がって待っていた。


三十分が経ち、もう少しで一時間が経とうとしていた。

「缶コーヒーでも買っておけば良かったかな」

そう思って携帯を見ていると突然着信ランプが光った。

「まさか?」

祐介は急いで携帯を開いた。



≪何処へ行けば良いですか?≫



夜、七時。
祐介は待ち合わせのレストランの前で”彼女”が現れるのを待っていた。

駅前の賑やかな交差点を少し脇に入った所にある
この辺では有名なイタリアンレストランだ。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか?
 はたまた、大山鳴動鼠一匹すら出ず・・・なんてな」


信用していた訳では無かった。
あんな書き込みに反応したような女だ。
ふざけて書き込みをしていたなら来るはずが無い。

万が一、何かが言いたくて書き込みをしていたとしても
『謝礼は食事代こちら持ち+一万円』
あんな怪しげな書き込みを鵜呑みにはしないだろう。

女の側からしたら美味しい話には裏があると感じても
いや、そう思う方が全うだろうなと今更ながら思っていた。


こちらの目印は黒縁の眼鏡と紺色のスーツにベージュのネクタイ。
向こうの目印は赤いスカート・・・教えてくれたのはそれだけだった。


祐介が煙草に火を点けて目線を正面に戻した時
いつの間にか目の前にいた女が話しかけてきた。

「あの、梶・・祐介さん・・・ですか?」

赤いスカートの女だった。



通されたレストランの通りを望むガラス張りの際の席で
向かい合わせで座る男と女。

他人から見たらどんな風に映っていたのだろう?

女はどうみても二十歳そこそこ。
ショートカットの茶髪にクリッとした大きな瞳が
見方によっては十代にも見える。
殆ど化粧っ気もなくて
美人と言うよりは未だ可愛いと言った言葉の方が似合う娘だ。

男はもう少しで中年に差し掛かるくらいの年齢。
いや、薄らと生えかけた無精髭を綺麗に剃れば
いくらかは若く見えたかも知れない。
決して高級そうには見えない、しかもごく普通の紺色のスーツ。

中小企業の係長が無理をしてキャバクラ嬢を誘って食事に来ている?
はたまた、上司と部下の不倫関係にも見えただろうか?
少なくとも、初対面の男と女が同席しているようには見えなかったかも知れない。


「いらっしゃいませ」

さりげなく席の脇に立つと
ウェイターはまずは女に、それから祐介にとメニューを渡した。

「何か苦手なものはある?」

祐介は女に尋ねた。

「いえ、特に」

「そう? それじゃ・・・この、シェフのお任せコースで」

「かしこまりました。食前酒は如何致しましょう?」

「そうだなぁ〜 私はこのシャンパンを。君はミモザとかどう?」

「えぇ」

「承知致しました」


メニューをたたんでウェイターが下がって行くと
女は祐介をじっと見つめて言った。

「慣れてるのね? いつもこんな店に来るの?」

「まさか。今日が初めてだよ。いつもは会社の仲間と居酒屋くらいだしね」

祐介は照れて頭を掻いた。

「実はね。これ」

そう言いながら祐介は携帯を女に見せた。

「さっきね。時間が有ったからサイトで調べたんだ。
 『イタリアンレストランでの注文の仕方教えます』ってやつ。
 もちろん、今頼んだシャンパンだって、来てからのお楽しみって事で(笑)
 あー、ミモザはね。
 シャンパンベースのカクテルで食前酒には良く飲まれるのは知っていたんだ。
 学生時代はカクテルバーでバイトをしていたから」

「ふふ。おかしい人ね」

女は楽しそうに笑った。
祐介はそのお蔭で少し緊張が解れたような気がした。


「さてと。それじゃ、申し訳無いけど、食事が終わるまで
 酔狂だと思って、しばしの時間を付き合って下さいね」

祐介は座り直すと改めてと言う風に頭を下げた。

「止めて下さい。周りの人が変に思います」

「あー、ごめん、ごめん。つい・・・」

祐介は又、頭を掻いた。

「それにしても、何か緊張するね」

「そうですか? 私はけっこう楽にしてますよ」

女はそう言うとニコッと微笑んだ。

「慣れてる? あっ、いや。そう言う意味じゃ無くて・・・」

祐介は一瞬、マズいと思った。
それを望んだのは祐介の方だったし
元より一時的な関係なのだからアレコレ詮索はするまいと思っていたのだ。

「こうやって見知らぬ男の人と食事に来たりする事?」

女はズバッと訊いてきた。

「あっ、いや・・・ごめん」

「ふふ。構わないですよ。どんな風に思われても。
 どうせ、親だってそう思ってるんですから」

「親御さんが?」

「えぇ」

女は呟くと少し俯いたが、又すぐに顔を上げると笑顔で言った。

「とにかく、今はこの時間を楽しみましょう。
 私もこんなお店は久しぶり♪」
 

何か訳が有りそうな娘だと祐介は思った。
女性を見る目に自信が有った訳では無かったが
少なくとも、美人局みたいな事をする娘には見えなかった。

もっとも、会った最初から
『私は美人局です』なんて顔をする女もいないとも思ったのだが
でも、やはりどう見てもそんな風には見えない。

そう思うと、祐介は尚更書き込みにあった『!』の意味が気になった。


丁度、そこに前菜が運ばれてきた。

「わぁ〜 美味しそう♪ 食べて良い?」

「もちろん」

祐介も前菜をつまみながら、そして思い切って訊いた。

「ねぇ? ひとつ訊いて良いかな?」

「何ですか?」

「あの君の書き込みなんだけど。『!』ってやつ。
 あれはどんな意味なの?
 まぁ、意味も解らないでメールを送った俺も俺だけどさ」

「別に・・・意味はありません」

女は素っ気なく答えた。

「そう? 答えたく無ければ答えなくても良いんだけど。
 もしかして、さっきの話に関係しているのかな?
 あの、『親だって』って、君はそう言ったよね?」

「そうでしたっけ?」


やはり、親の事に関係しているのだろうか?
女はそこには余り触れられたくは無いようだった。

「それより」

「うん?」

「『最後の晩餐』ってどう言う意味なんですか?
 何だか、尋常な言葉じゃないですよね」

「ああ言う所に何て書いて良いか適当な言葉が浮かばなくてさ。
 それで、ドストレートに書いたんだけど
 やっぱり変だよね?」

「変と言うか・・・まるで、死ぬみたい」

「・・・」

祐介は答えなかった。

「どうして私だったんですか?」

「えっ?」

「もっと”素敵”な書き込みがたくさん有ったでしょ?」

「あぁ。確かにね。でも・・・何て言うかな。
 ああ言う、さも誘ってるみたいな言葉には反応しなかったんだ」

「アソコがですか?」

女は愉快そうに笑った。

「おいおい。男を誘うような言葉に反応しなくて
 『!』に反応しただなんて、それじゃまるで俺は変態かい?」

「そうかなぁ〜なんて」

「よせよ。未だその域には達してないよ」

祐介がそう言うと二人は顔を見合わせて笑って。


「しー!」

隣の席の老紳士が二人に向かって口の前で人差し指を立てた。

祐介はその老紳士に頭を下げると女を見て
そして、口の前に人差し指を立てて見せた。
女はそれを見て両手で口を塞ぐと声を殺して笑いを堪えていた。


「失礼します」

そこへウェイターがパスタを運んで来た。

「本日のお勧め『手長エビと旬の野菜のトマトクリームパスタ』でございます」


「ん〜」

祐介は目の前のパスタを見ながら考えていた。

「どうしたんですか? 美味しそうですよ」

「そうなんだけどね。でも、このエビってどうやって食べたら良いんだ?」

女はクスッと笑った。

「両手で掴んで頭からガブリですよ」

「まさか!」

「ふふ。冗談です。
 ここをこうして、それから・・・ほらっ、上手く身が剥けたでしょ?
 ちょっと貸してください。やってあげますから」

女はそう言うと祐介のパスタの皿を少し自分の方に引き寄せて
ナイフとフォークを手際良く使って手長エビの殻を剥き始めた。

「おー、凄い! 君の方がこう言う料理は食べ慣れているんだね?」

「そうでもないですよ。でも、昔は家族揃って良く行っていたかも。
 昔ですけどね」

「昔? 今はもう行かないのかい? あっ、余計な事だったかな?」

「別に良いんですけどね」


女は良く笑うが、何故か時々投げやりに見える時がある。
親の話をする時だ。
やはり、親と何かあったのかも知れない。
女がエビの殻を剥くのを黙って見ながら祐介はそう思っていた。


「はい、どうぞ」

「あぁ、ありがとう」

女が剥いてくれたエビを絡めてパスタを口にすると祐介は思わず呟いた。

「うん、美味い!」

「でしょ?」

「うん。やっぱり食事は誰かと一緒の方が美味しいもんだね」

「特に私みたいな美女と一緒なら尚更・・・でしょ?」

女は悪戯っぽく微笑んだ。

「あぁ、確かにそうだね」

「あれっ? 『私みたいな美女と一緒』ってとこは突っ込まないんですか?」

「突っ込むべき?」

「ん〜 微妙?」

「あはは」

「ねぇ? いつも独りで食事をしているんですか?」

「まぁね。ここ数か月はそうかな」

「奥さんと別れた・・・とか?
 あっ、ごめんなさい。私も余計な事でしたね」

「いや、事実だからね。構わないよ」

「それで、どうして最後の晩餐なんですか?」

「あぁ、あれね」


祐介は何処まで本当の事を話そうか考えあぐねていた。
どうせ、食事が終わったら別れる相手だ。
本当の事を話したからと言って何がどうなる訳でもない。
それなら楽しく時間を過ごした方が
相手にとっても重たい話を聞かなくて済む訳だし
その方が良いのかも知れないと思っていた。

すると女が先に口を開いた。

「私も今は一人暮らしみたいなもんなんですよ。
 実家なんですけどね」

「ご両親は?」

「健在です。多分・・・」

「多分?」

「今、何処で何をやっているのか解らないって事です。
 あっ、でも、別居じゃないんですよ。
 ただ二人共、殆ど家には帰って来ないので」

「親御さんは何をやっているの?」


女が話した事は概ねこう言う話だった。

父親はそこそこ大きな会社の社長をしている。
数年前に父親が出資をして母親がエステサロンを始めたが
そのエステサロンが大当たりをして母親は事業を拡大していった。
最近では母親はテレビなんかにも良く出演をしているらしい。
所謂、カリスマエステシャンと言うやつだ。

しかし母親の収入が父親の収入を追い抜いた頃から
父親は家に帰らなくなっていた。

多分、愛人の所だろうと女は言った。

そして、その母親はと言うと
事業と講演会等で忙しいらしく一週間に一〜二日しか家には帰って来ない。

母親の秘書は二十代の細面のイケメンでこれが母親好み。
女に言わせたら「ホストか!」と言う事らしい。

家にはお手伝いさんが居て身の回りの世話は全てやってくれている。
もちろんお金には困っていない。


「全く、何をやっているんだか」

女は寂しそうな笑顔を見せた。

「そっか・・・」

「あっでも、私もけっこう好きにやってるから良いんですけどね。
 毎日、自由だし、煩い事も言われないし」

「でも、寂しいだろ?」

「別に。友達ならたくさんいるわ」

「でも、家族と友達は別だろ?」

「・・・」

「まぁ、そんな事を君に言えた義理じゃないけどね」

「そう言えば・・・私、未だ名前を言って無かったですよね?」


そう言われて祐介は女の名前を訊いていなかった事に気が付いた。
ここだけの関係だ。別にそれでも良いと思っていたのだが。


「私、『ゆきな』って言います。けっこう可愛い名前でしょ?」

「『ゆきな』? 娘と同じ名前だ」

「えー? ホントですか?」

「あぁ、降る雪に奈良の奈と書いて『雪奈』
 一月生まれだからって娘に言ったら
 『そんな単純な意味?』って怒られたけどね(笑)
 もしかして、君も冬生まれ?」

「いえ。今日です」

「今日? えっ、ホントに?」

「えぇ。夕方の夕にお姫様の姫、それに数字の七で『夕姫七』
 変わってるでしょ? でも、気に入ってるの。
 七夕の日に生まれたお姫様って意味だから」

そう言うと夕姫七は得意気な顔でVサインを出して見せた。

「そっか。今日は七夕だったんだ・・・
 何だか、すっかりそう言う話とは疎遠になっていたな。
 でも・・・そっか。
 それは何かお祝いをしなくちゃね」

「もう、して貰ってるわ。久し振りよ。
 今夜はこんな美味しい料理を御馳走になっているんだからそれで十分。
 今頃、お久さん・・あっ、お手伝いさんね。
 お久さんはせっかく作った料理やケーキを前にガッカリしてるかも」

「それは事情も知らずに、お久さんには悪い事をしたな。
 帰ったら謝っておいてくれないか?」

「ふふ。大丈夫よ。帰ったら私が全部キレイに頂くわ。
 こう見えても私って大食いなの」

夕姫七はそう言って舌をペロッと出して見せた。


そこにウェイターが来て言った。

「そろそろメインをお持ちして良いでしょうか?」

「あっ、はい。お願いします」

「かしこまりました」


「『最後の晩餐』の意味ね。
 何から話せば良いかな・・・」

祐介は数十年来の友人の保証人になって多額の借金を背負った事。
それに由来して色々と揉め事もあって会社も辞めざるを得なくなった事。
その結果、妻は娘を連れて家を出て行った事。
それを完済する為に、土地と家を売って今はほぼ無一文になった事。

そんな事を正直にまるで告白でもするかのように神妙な顔つきで話した。
でも、死を覚悟している事までは話さなかった。
ひと時だけを過ごす相手には重た過ぎる話だ。


話の途中で来たメイン料理の子羊の香草包み焼きもすっかり冷めていた。

「あっ、ごめん。せっかくのメイン料理が冷めてしまったね。
 申し訳ない。さっ、食べよう」

夕姫七の両手はフォークとナイフを持ったまま動いてはいない。

「ごめん。メイン料理の前にする話じゃなかったね。
 さっ、最後の晩餐ももう少しの我慢だからさ。
 食べて、食べて」

「それで・・・」

「うん?」

「それで、祐介さんはこれからどうするの?
 最後の晩餐って、まさか本当に死ぬ気なんじゃないでしょうね?
 私、嫌です。
 私の誕生日に一緒してくれた人が知らないうちに死んじゃうなんて」

夕姫七はそう言うと大粒の涙をボロボロ流した。

「そんな事はしないよ」

祐介は慌てて打ち消した。

「ただ・・・そうね。
 こんな贅沢は今夜限り・・・そう言う意味だよ。
 なんせ、もう無一文みたいなもんだからね。
 こんな贅沢はしたくても出来なくなるしさ」

夕姫七はそれには何も答えなかった。


沈黙の時間が二人の間に流れた。

二人は黙ったまま黙々とメイン料理を口に運んでいた。
祐介にしてみれば、食べていると言うより
胃に押し込んでいる・・・そう言った方が正しかったかも知れない。


「デザートをお持ちしました。
 当店特製のティラミスとレモンのジェラートでございます。
 食後酒は如何致しましょうか?」

「あっ、はい。お酒は・・・私はもう良いです。
 それじゃ、エスプレッソを。
 夕姫七ちゃんは?」

「私はクリームメロンソーダを」

「かしこまりました」


夕姫七はクリームメロンソーダのアイスクリームをスプーンで崩しながら
溶かしたアイスクリームでマラスキーノ・チェリーをグラスの底の方に沈めた。
まるで大事な宝物を宝箱に隠す子供のようだった。

祐介の視線に気が付いたのか、夕姫七は少し照れたように笑った。

「おかしいでしょ? 何でだろう?
 昔から決まってこうするの。チェリーは一番最後に食べるのよ」

「うん。いや・・おかしくはないよ」


祐介は娘の雪奈の事を想い出していた。
雪奈が小さい頃もやはり同じような食べ方をしていた。

「どうして?」

そう訊く祐介に雪奈は答えた。

「最初にアイスを食べて、それからソーダを飲むでしょ?
 最後に底にあるサクランボをすくって食べるのが良いのよ。
 なかなか上手くすくえないんだけど、でもそれが楽しいの」

レストランなんかではいざ知らず、デパートのフードコートなんかでは
ストローの先がスプーンになっているものが付いてくる。
それでサクランボをすくうのが案外難しいらしい。
すくったと思ったら、すぐその先からポロッと又、グラスの底に転がっていく。
それを何度か繰り返して、やっとの思いで頬張る甘い砂糖漬けのサクランボ。
 
それが雪奈に言わせると最高の幸せなんだとか。
祐介は思わず思い出し笑いをした。

「どうしたの? 私、やっぱり変かな?」

「あっ、いや・・・違うんだ。
 ちょっとね。娘の事を想い出していた」

「雪奈ちゃん?」

「あぁ、小さい頃ね。良くデパートの買い物が終わるとフードコートとかでさ、
 やっぱり娘が君と同じような食べ方をしていたんだ。
 娘に言わせるとね。グラスの底に落ちたチェリーって氷の下に入ったりすると
 なかなか取り出し難いだろ?
 でも、それを苦労してすくって食べるのが最高に美味しいんだって」

「あっ、仲間がいたんだ!」

「仲間?」

「えぇ。友達はみんな変な食べ方だって言うのよ。
 みんな解ってないんだから」

そう言うと夕姫七はグラスの底のチェリーをスプーンでスルッとすくうと
祐介の目の前に差し出して笑いながら言った。

「ほらっ、これが美味しいのよ♪」


大人っぽさと子供っぽさが同居しているような夕姫七。
それは寂しさからくるものなのか?
祐介は娘の雪奈と夕姫七をだぶらせていた。

『雪奈にも寂しい想いをさせているんだろうか。
 離婚をする前も借金の事や、仕事の事やなんかで
 ほとんど雪奈の事を構ってやれる時間は作れなかった。
 昔は大のパパっ子だったのに・・・
 来年はもう中学生だ。普通でも、もう父親からは離れていく年頃かな?』


『ねぇ、パパ。見て。中学の制服、似合う?』

そう言うと祐介の間の前で雪奈はくるっと回って見せた。
翻ったスカートの裾が祐介には眩しかった。

想像の中で成長をしていく娘。

それを思い浮かべると自然と祐介の目にも熱いものが込み上げてきた。



店を出ると夜風が心地良かった。

「あー、キレイな星空!」

夕姫七のその声に祐介も夜空を見上げた。

「あぁ、本当だ。空ってこんなにたくさん星があったんだね」

「今夜は七夕だから特別よ」

夕姫七はそう言うと祐介の方に振り返っておじぎをした。

「今日は御馳走様でした。とても美味しかったわ」

「こちらこそ、付き合ってくれてありがとうね」

「最後の晩餐はどうだった?」

「あぁ、最高の晩餐だったよ」

祐介は笑顔で答えた。そしてこう付け加えた。

「君のお蔭でね」

「いつか・・・」

「うん?」

「いつか、また最高の晩餐が食べられると良いね」

「あぁ。そうだね。あっ、そうそう! これ」

祐介はスーツの内ポケットから白い封筒を取り出して
夕姫七の前に差し出した。

「何?」

「バイト代。一万円入っている。
 君にとっては小遣いより少ないだろうけど今の俺には精一杯なんだ」

「いらないよ」

「えっ?」

「いらない。言ったでしょ? 私はお金には困ってないもの」

「そうだけど・・・でも、約束だから」

「うふ。律儀ね」

そう夕姫七は微笑んだ。
そして、思いついたようにこう言った。

「それじゃさ。そのお金で来年も御馳走してよ。
 それで許すわ(笑)
 約束よ。来年の七夕の夜に又、このお店で」

夕姫七は祐介の前に小指を差し出した。

「ゆびきりげんまん」

だが、祐介は戸惑っていた。

「約束は・・・出来ないよ。
 第一、来年の今頃はここにいるかどうかも解らない。
 仕事も無いし、正直に言えば家もさっき明け渡してきたばかりなんだ。
 だから・・・約束は出来ない。 ごめん・・・」

「ダメ! ちゃんと約束をして」

「だから・・・」


夕姫七の目は涙ぐんでいた。

「夕姫七ちゃん・・・」

「言っておくけど」

夕姫七は零れた涙を拭いながら言った。

「私は七夕生まれだけど織姫なんかじゃない。
 祐介さんも私の彦星なんかじゃないわ。
 でも、こんなにたくさんの人間がいるんだもの。
 地上にだって、こんなヘンテコな織姫と彦星が居ても良いわよね。
 あー、私・・・何を言ってるんだろ?」

思わず祐介も笑顔になった。

「ヘンテコな織姫とくたびれた彦星かい?」

「もう! 何でも良いわ。
 とにかく、約束だからね。 はい!」

夕姫七はもう一度小指を差し出した。

「ゆびきりげんまん」

祐介もそっと小指を差し出した。



「それじゃ約束よ」

そう言って手を振る夕姫七。
それを見送りながら祐介も大きく手を振った。


人波の中に消えていく夕姫七を見送りながら
祐介はさっきまでの時間を思い返していた。

「不思議な子だったな。夕姫七か。本当に織姫みたいだ。
 でも、あんな変な約束までさせられて・・・どうする?
 これじゃ・・・」

言いかけて祐介はふと思った。

≪死≫

その言葉はさっきまではごく自然に身近にあったのに
今はまるで凄く遠くにある言葉のように感じていた。

「何で、さっきまではあんなに思い詰めていたんだろう?
 そうだな。死ぬなんていつでも出来るんだ。
 その前にもう一度頑張ってみるのも良いかな。
 どうせ、これ以上失くすものも無いんだし
 それに約束・・・させられちゃったしなぁ」

それから祐介は又、思い出し笑いをした。

「ゆびきりげんまん・・・か。
 そう言えば、雪奈とも良くしたっけ。
 いっつも仕事で約束を破ってしまって良く泣かせもしたけど」


ふと見上げた夜空には無数の星々が煌めいていた。
祐介の頭上、やや東の方向には天の河が見えた。

「織姫と彦星にも最高の晩餐を!」

そう言うと祐介は見上げた天の川に乾杯をするかのように右手を高く掲げた。











































inserted by FC2 system