七夕ストーリー 第4話


シンデレラのガラスの靴






或る日、剛は昔の夢を見た

小学校4年生の七夕の日
転校していく由美がくれた七夕の短冊

「お嫁さんになってあげるから、いつか迎えに来てね」



高梨剛、42歳、独身
市立T高校の数学教師をしている
2年3組の担任でもある

(T高校の職員室)

剛は受け持ちのクラスの
浅田文也の成績が2年生になってから
急に下がった事に悩んでいた

しかも、このところ
明らかに休みも目立つようになっていた


「良く有るんですよ。
 1年生の時にちょっと成績が良かったりすると
 それでもう安心して勉強をしなくなって
 2年生からは全然ダメになる子とかね」

「そうそう、あまり深く考えない方が良いですよ」

「大方、悪い仲間にでも影響されてるんじゃないですか?」

「そう言えば、2年3組の・・・何て言ったっけね。
 去年、S高とケンカをして停学騒動を起こした生徒は」

「あー、佐竹ですよ。
 あそこは親もいい加減で
 呼び出したって
 『好きにしてください』って
 親がもう匙を投げてるんですよね」

「いやでも、浅田はそんな奴じゃ・・・」

剛が反論するのを遮って
別の教師が言う

「いやいや、生徒なんてね
 見かけじゃ分からないもんなんですよ。
 裏じゃ何をやってるんだか」

「高梨先生、いざとなったらね。
 うちで推薦枠のある三流大学にでも
 押し込んじゃえば良いんですよ。
 なぁに、親だって子供が受かれば
 文句なんて言いませんよ」

「今の子はね、こっちがいくら真剣に心配したって
 何も恩には感じてくれないんです。
 それどころか、親にしたって
 子供がちょっと成績が落ちれば
 こっちが悪者みたいなね」

「そうそう、だからね・・・」
 

色々な教師が色々な事を言う

でも、文也は特別派手になったようでもなく
確かに優等生ではないが
どちらかと言うとコツコツと努力をするタイプだ

だから余計に気になっていた


そこに野球部の顧問が入って来た

「いったい何の話です?」

「いやね、高梨先生が浅田の成績が落ちた事で
 悩んでいるみたいなんで
 我々でちょっとアドバイスをね」

「浅田? あぁ、そう言えば
 彼、野球部を辞めたんだけど
 何か家庭の都合らしいですよ」

「そう言えば、彼
 学校に内緒でアルバイトをしているって噂でしたね」


『よし、考えていてもしかたないな。
 一度、家を訪問して親御さんに話を聞いてみるか』



翌日、授業が終わると
剛は早々に学校を出て文也の家へと向かった


文也のアパートの少し手前で車を停めると
改めて文也の身上書に目を通した

『母子家庭か・・・』


母親は5年前に夫と死別した後
女手ひとつで文也と娘の由佳を育てていた


”ピンポ〜ン”

剛はアパートの部屋のチャイムを鳴らした

「はーい」

小学生らしい女の子が出て来ると
チェーンの掛っているドアを少しだけ開けて剛を見た

「もしかして由佳ちゃん?」

「はい、あのぉ・・・どなたですか?」


『あれっ?』

剛は何処かで由佳に会った事があるような気がした

『えっと、何処だったろう・・・?』


「あのぉ・・・」

「あっ、ごめんね。
 文也君の高校の担任の高梨って言います。
 お母さんはいるかな?」

「うん、ちょっと待ってて」

由佳はそう言うと奥に消えていった


「お母さん」

と、呼ぶ声が聴こえた


少しして、また由佳が戻って来た

「あの、お母さん、ちょっと具合が悪くて
 今、休んでいたの。
 すぐに支度をするって言ってたから
 どうぞ、入って待っててください」


剛は招かれるままに
部屋に入るとテーブルの前に正座をして座った

「あっ、先生。
 楽にしてください。
 うちはそんなに堅苦しい家じゃないから」

「あっ、はい。 それじゃ遠慮なく」

由佳はクスッと笑うと
奥の部屋に入って行った

剛は膝を崩すと胡坐をかいて座った


『由佳ちゃんって小学4年生だっけ。
 しっかりした子だな。
 それにしても、何処で会ったんだっけな・・・』

剛は思い出せずにいた


部屋を見渡すと
モノは多くは無いが
それでもきちんと片づけられていた

『きっと、お母さんはキレイ好きなんだろうな』

そんな事を思っていると
隣の部屋の襖が開いて母親が入ってきた


「先生、どうもすいません。
 ちっともキレイにしてないから恥ずかしいわ」

「いえ、そんな事はないですよ。
 とてもキレイにしてらっしゃるじゃないですか。
 それに比べたらうちなんて・・・」


『何を言ってるんだろう。
 今日はそんな話じゃないんだ』


「先生、今お茶を入れますから」

「あっ、いえ、お構いなく」

「いいえ、どうせそんなに高級なお茶はありませんから
 遠慮なさらずに」

「いえ、とんでもない」

「それとも、コーヒーの方が良いかしら?
 と言っても、インスタントなんですけどね。
 でも、私の入れたインスタントコーヒーは
 美味しいって息子には評判なんですよ。
 あら、自分で言っちゃダメですよね」

そう言うと
母親は舌を出してクスッと笑った

その表情を見ると
剛は急にドキドキした

『今日はいったいどうしたんだ、俺は。』


「本当、インスタントで申し訳ありませんが」

コーヒーを入れてくると
そう言いながら
母親は剛の前にコーヒーカップをそっと置いて
それから
テーブルを挟んだ向かいに座ると剛に訊ねた


「先生、文也が何かしたんでしょうか?」

「あっ、いや、そう言う訳ではないんですが。
 実はここのところ
 文也君の成績が下がってまして。
 1年生の時はけっこう上の方だったんで
 何か有ったのかと思いましてね。
 それに、休みも増えたのも
 何か関係があるのかと思いまして
 一度、お母さんに話が聞きたかったんです」

「そうですか・・・」

「はい、何か心当たりはありませんか?」

「はい・・・
 主人が亡くなってからは
 私が子供達を育てて来ました。
 でも、半年ほど前に少し体調を崩しまして
 思うように働けなくなったんです。
 それで、文也がバイトをして
 今は家計を支えてくれているんです」

「そうだったんですか」

「でも、私も今はだいぶ調子も良くなりましたので
 また、勤めに出ようと思っています。
 だから、文也には勉強に専念するように申します。
 どうも、先生にはご心配をおかけしまして
 私が至らないばかりに、申し訳ありません」

「いえ、とんでもありません。
 でも、働きに出ると言いましたが
 今日もお休みになられていたんじゃ?
 大丈夫ですか?
 場合によっては
 色々と公的援助とか受けられるとか
 そう言う事も出来るでしょうし
 あまり無理はなさらない方が」

「でも、それじゃ
 子供達が卑屈になってしまうんじゃないかと
 それが心配なんです。
 虐めに合うんじゃないかと思ったりして・・・
 だから、出来るだけそう言う援助を受けないで
 何とか私が頑張って行こうと思っています」

「それで随分無理をされていたんじゃないですか?」

「でも、私はあの子たちの親ですから。
 無理をしているだなんて思った事はありません。
 むしろ、私の生き甲斐ですから
 苦労なんて思った事もないんですよ」


明るく微笑む母親の目には
力強い決心が見えた



学校へ戻る車の中
剛は色々考えていた

『文也の為に自分に出来る事は何があるだろう?』

でも、教師と言う立場を考えると
特定の生徒にばかり深く立ち入るのは好ましい事ではない

内緒でと言っても
万が一、他の生徒達に知れたら何と思うだろう?

えこ贔屓?

そう騒ぐ生徒もいるかも知れない

事情が事情とは言え
他の父兄に知られたら
それこそ大問題にも成りかねない

それは逆に文也や彼のお母さんにも
迷惑をかけてしまう事になる

それは良く分かっていた

「だけど・・・」

現実に生活に困っている生徒がいる
自分は彼の担任なのだ

剛には放ってはおけない問題だった



そして、もうひとつ
剛には引っ掛かっている事があった

文也の妹の由佳の事だった

「いったい、何処で会ったのだろう?」

思い出せそうなのだが
もう少しと言うところで
いつも記憶に霞がかかったようにボヤけてしまう



その夜
剛はまた夢を見た

別れの日に短冊をくれた由美


「あっ!?」

いや、それは由美ではなくて
昼間会った文也の妹

由佳だった

「まさか!?」

剛は飛び起きると目覚まし時計を見た

『5時半か・・・良し!』

急いで着替えを済ませると
剛は学校へと急いだ


職員通用口にはまだ鍵がかかっていた

インターホンを鳴らして
管理人を起こした


「高梨先生、こんな時間にどうしたんですか?」

寝ぼけまなこの管理人が
さも面倒だと言う顔で剛に訊いた

「いや、すまない。
 ちょっと急ぎの用が出来たんだ。
 職員室の鍵を出してくれるかな?」

「ちょっと待ってくださいよ」


職員室の鍵を受け取ると剛は職員室に急いだ
そして
生徒の身上書が入ったキャビネットを開けた

『2年3組と、えーっと・・・有った、これだ!』


文也の身上書
保護者欄には「母:浅田 由美」と書かれていた



その日の放課後
剛は再び文也の家を訪れた


「まぁ、高梨先生?
 どうしたんですか? 文也がまた何か・・・」

言うのも遮って剛は訊いた

「もしかして、由美・・・ちゃん?」


文也の母親は一瞬驚きを顔に表したが
すぐにニコッと微笑むと答えた

「剛君でしょ?
 この前会った時にすぐに分かったわ。
 一途な感じで
 相手をジッと見つめて話すの変わって無かったから」

「どうして言ってくれなかったんだ?」

「だって、剛君は文也の先生だもの。
 それに・・・」

由美は言うのを少し躊躇った風だった

「ねぇ、ここじゃなんだわ。
 狭いところだけど、中にどうぞ。
 あっ、狭いのはもう知ってるわよね?」

そう言って微笑うと
剛を部屋の中に招き入れた


部屋の中に入ると
剛は昨日と同じ場所に座った

「コーヒーで良いかしら?
 昨日と同じのだけど」

「いや、何も構わないで」

「ちょっと待ってて」

実際のところ
由美も少し混乱をしていた

文也の担任が剛だとしたら
いずれは剛も由美の事を思い出したかも知れない

でも、それがこんなに早くだとは思っていなかった

別に隠すつもりも無かった
でも、文也の話をしているうちに
話しそびれていた

『まぁ、良いか』

その時はそう思ったのだ

そうしたら今日
また、剛が家に来た

『何の話だろう?』

多分、昔が懐かしくて来ただけだろう

由美もこの町で剛に
こう言う形で再開をするとは思いもよらなかった

しかも、文也の担任としてだ

由美がお湯が沸くのをジッと見ていた


「どうぞ。 インスタントだけど息子には・・・
 あっ、これも昨日言ったわね」

クスッと笑うと
由美は剛の向かい側に座った

「しばらくよね〜
 何年生の時だっけ?」

「幼稚園から小学4年生の時に
 由美ちゃんが引っ越すまで
 ずっと同じクラスだったよ」

「そっかぁ〜 そうだったわね。
 あれから何年になるかしら?」

「32〜3年・・・かな」

「そっか、そうね。
 私、すっかりオバサンになったでしょ?」

「い、いや、そんな事は無いよ」

剛は慌てて否定した

「嘘ばっかり。昨日だって気がつかなかったくせに」

由美が悪戯っぽく笑った

「いや、それは・・・
 まさか、こんなところで由美ちゃんに会うなんて
 思わなかったしさ」

「そうよね。私もビックリだったわ」

「すぐ分かったってホント?」

「ええ、全然変わってなかったんだもの」

「それって何? 子供の時とって事?」

「そうね。 そうかも」

「おいおい」


最初は少しぎこちなかった二人だったけど
話をしているうちに
すぐに昔の雰囲気に戻っていた

昔、一緒に遊んだ事
同級生の話題

尽きる事無く話は弾んでいた


「そう言えば、さっき何か言いかけていたよね?」

「えっ? 何だっけ?」

「ほら、俺が文也君の担任でって言った後」

「あぁ、そうね。 何だったかしら・・・
 何だったと思う?」

「知らないよ。 こっちが聞いてるんだけど?」

「そっかぁ、そうだよね。
 でも、忘れるくらいだから
 大した話じゃないと思うわ」

「そんな風には聴こえなかったけどなぁ〜」



「ところで剛君
 お子さんは? いくつになるの?」

「子供? いや、実は・・・まだ独身なんだ」

「あらっ、ごめんなさい。
 余計な事だったわね」

「いや、かまわないよ」

「そうなんだ。
 でも、どうして?
 剛君、理想が高かったりして?
 ダメよ。 適当なところで手を打たないと」

「いや、理想が高い訳じゃないんだけど
 何となく、気が付いたら
 この歳になっていたって言うかね」

「独身貴族って訳ね?
 あらっ、今時こんな言い方はしないかしら?
 ダメよね〜
 生活に追われているうちに
 すっかり世の中の動きに乗り遅れているわ」

由美はそう言いながら苦笑した

「コーヒーもう一杯飲む?
 今、お湯を沸かしてくるわね」

そう言って立ち上がりかけた時
文也が帰って来た

「母さん、ただいま。
 お客さんかい?」

文也は剛を見ると驚いたように言った

「あれっ? 先生、どうしたの?
 先生、うちの母さんをナンパしようとしても無駄だよ。
 母さん、こう見えて身持ちが堅いんだから」

「文也、なんて事を言うのよ。
 あんたは全くもう・・・」

「あはは、ナンパに見えたかい?
 そうだなぁ〜
 もしかして、そうかもね」

剛はわざと悪戯っぽく言った

「まぁ、先生も文也を調子に乗せないでくださいな」

「でも先生、どうしたの?」

「いや、お前の事が気になってさ。
 ここのところ成績が落ちてただろ?
 休みも多いし、何か有ったのかと思ってな」

「いやぁ〜 俺、頭悪いからさ。
 今に始まった事じゃないよ。
 俺、勉強をするより働いている方が向いてるかも。
 どうせ俺、進学はしないつもりだしさ」」

「文也・・・」

「まぁ、そう慌てるなよ。
 一生の事だからさ。
 その件はまた、お母さんも交えてゆっくり話そう。
 それより、文也。
 バイトも良いけど、学校は休むなよ。
 だいたいの話はお母さんから聞いたけど
 まずは、ちゃんと勉強もしないとさ。
 一生のうちで、高校時代の3年間なんて
 アッと言う間なんだから。
 後で、『あの時にもっと』って思っても遅いんだぞ」

「うん、それは分かってるよ。先生。
 でも、良いんだ。
 先生、俺に卒業したら就職するよ」

「文也。 あんた、何を一人で決めてるのよ。
 それじゃ、お父さんに申し訳ないわ。
 あなたは私の事を心配してくれているんでしょうけど
 あなた一人くらい私が大学に入れてあげるわよ。
 その為に、お母さんは頑張っているんだから」

「母さん、でもね。
 俺、大学に行ったって何をして良いか分からないんだ。
 ただ、4年間を無駄に過ごすくらいなら
 働いた方が良いだろ?」

「まぁまぁ、文也。
 そう慌てて決める事もないさ。
 まだ、時間はある。
 ボーっとしてたら1年半なんてアッと言う間だけど
 真剣に考えて生きたらけっこう何でも出来る時間だよ。
 それに、お母さんの気持ちも考えろ。
 これから良く話をしていけば良いさ。
 先生も相談に乗るよ」

「うーん、考えておくよ、先生」


文也は文也なりに
家の事、母親の事
そして、妹の事なんかも考えているのだろう

剛は自分の無力さを思い知った気がしていた



その夜
剛はまたいつもの夢を見た


小学校4年生の七夕の日
転校していく由美がくれた七夕の短冊

「いつか迎えに来てね」


『いつか・・・』

明晰夢を見ている事を実感しているかのように
剛は夢の中で呟いた

『由美ちゃん』

夢の中でもう一度見た由美の顔は
昼間見た由美だった


 
(T高校の職員室)

「おや、高梨先生。 どうしたんですか?
 まるで、心ここに在らずって感じですよ」

「あっ、大谷先生・・・」

「何か心配事でも?
 もしかして、この前の浅田ですか?」

「いや、まぁ・・・」

心配事と言うのは当たっていない
確かに、文也の進路の事は
いつかきちんとしなければならないだろう

でも今はそれよりも
昨夜の夢に出て来た”由美”の事が気になっていた


その時
剛の机の内線電話が鳴った

「高梨先生、お客さんですよ」

「はい。 えっ? お客さん?」

「可愛い女の子ですよ」

電話の向こうの管理人が意味有り気にそう言った


管理人室のある職員通用口に行ってみると
由佳が立っていた

「あれ? 由佳ちゃん? どうしたんだい?」

「あの、先生・・・」

「ん? 何?」

「あの・・・」

由佳はちょっともじもじしながら
思いもよらない言葉を言った

「先生、ごめんなさい。
 この前、先生が家に来た時に
 お母さんと話しているのを聴いちゃったんだけど
 あっ、でも、聴こうとして聴いた訳じゃないの。
 聴こえちゃって・・・」

「うん、構わないさ。
 でも、何の話だっけ?」

「あの・・・先生は独身って」

「あぁ、そんな話したっけな」

「先生、今は付き合っている人とかいるんですか?」

「おいおい、何をやぶからぼうに」

思わぬ質問に剛は苦笑をした

「いや、今はいないよ。
 残念ながらって言って良いのかどうかは分からないけどね。
 でも、どうして?」

「お母さんがね。
 この前、先生が帰った後で
 昔のアルバムを出して来て見てたんだけど
 すごい幸せそうな顔をしていたの。
 あんな顔を見たのは初めてかも知れないわ。
 『どうしたの?』って訊いたら
 そのアルバムを見せてくれて
 『このやんちゃそうな男の子って
  さっき来ていた文也の先生よ』って」

「あれ〜 そんなにやんちゃだったかな」

「うん、すごく元気な子って感じだったよ」

「そうだっけ?」

剛は少し照れた風に頭を掻きながら苦笑をした

「でね、もしかしてお母さん・・・」

「お母さん?」

「先生の事、好きだったのかなって」

「うん、もしそうなら嬉しいな」

「ホント?」

「あぁ、嬉しいよ。
 昔は良く一緒に遊んだんだよね。
 家も近かったし
 クラスもずっと一緒だったんだ」

「先生、私ね
 先生が新しいお父さんなら反対はしないから。
 先生、どうもありがとうございました」

そう言っておじぎをすると
由佳は走って通用口を出ていった

あっけにとられる剛

振り返ると
管理人室の小窓の向こうで
管理人がニヤニヤしながら剛の方を見ていた



『そうは言われてもなぁ〜』

剛は部屋の隅のベッドに横になって考えていた

由佳の口から出た思いがけない言葉は
正直、嬉しかった

でも、所詮は子供の言う事だ
うかつに鵜呑みにも出来ない

まして
担任が生徒の母親相手にどう言えば良いのだろう


でも
剛が今まで独身を貫いてきたのは
もしかしたら心の何処かで
あの日、由美からもらった
短冊の事が有ったからなのかも知れない

『いや、それは違う』

剛は心の中で打ち消した

あれから何十年も経っているし
そこまで純情でもない

今までだって
恋愛のひとつやふたつ
いや、それ以上はしてきたのだ

結婚を考えた相手だっていた
結局、色々あって上手くいなかったのだが


実際、剛も最近までは
由美の事を思い出す事も無かったのだ

あの夢を見るようになるまでは



突然、携帯が鳴った

『誰だ?』

見ると知らない番号だった


「もしもし・・・」

「高梨先生・・・ですか?」

それは由美の声だった

「由美ちゃん?」

「ごめんなさい、こんな時間に」

「いや、良いんだ。
 でも、良く分かったね」

「クラスの連絡網に剛君の電話番号があったでしょ?」

「あぁ、そっか。
 でも、どうしたんだい?
 文也に何かあった?」

「昼間の事・・・」

何か言い難そうな話し方だ

「あぁ、由佳ちゃんの事?」

「えぇ、本当にごめんなさい。
 由佳がとんでもない事を言ったみたいで。
 夕方、由佳に聞きました。
 でも、何て言ったら良いのか分からなくて・・・
 何度か電話をしかけたんだけど。
 ごめんなさい。
 子供の言った事だから・・・
 忘れてくれる?」

「忘れちゃって良いの?
 なぁ〜んだ、けっこう嬉しかったんだけどな」

「・・・」

「由美ちゃん?」

「は、はい」

「何だかね、いっぺんに色々な事が起こって
 多分、由美ちゃんも俺も
 少し混乱しているのかも知れない」

「はい」

「でもね、ここのところ何度か夢を見ていたんだ」

「夢?」

「うん、由美ちゃんが転校をする時の事。
 今まで、こんな夢なんか見た事は無かったんだけどね。
 覚えてる?
 別れる時に由美ちゃんがくれた短冊の事」

「短冊? ・・・えぇ」

「その時の夢を何度か見ていたんだ。
 何だか、懐かしくて、切なくて・・・
 何で、今頃こんな夢を見るんだろう?
 って、思ってた。
 そしたら、
 由美ちゃんが文也の母親として俺の前に現れた。
 偶然にしても凄いと思わない?」

「そうね、私も驚いたわ。
 こんな形で剛君と再会するなんて思ってもみなかった」

「うん、なんかドラマみたいだよね。
 もっとも、主人公は全然カッコ良くないけどさ」

剛は冗談めかせて努めて明るく言った

「ううん、でも・・・剛君、覚えてくれていたんだ?」

「えっ?」

「短冊の事・・・」

「あぁ、覚えているよ。
 今も昔のアルバムに挟んで大事に取ってあるよ」

「なんか、恥ずかしいね。
 昔のままの私で会えたら良かったんだろうなぁ〜」

「何が? そんな事は無いよ」

「ううん、昔とは違うもの」


何が昔とは違うと言いたかったのだろう?
剛は上手く返事が出来ずにいた

結局
その夜はそんな話で電話が終わった



剛は本棚から昔のアルバムを取りだすと
短冊の挟んであったページを開いた

そこには由美と二人で写った
何枚もの写真が貼ってあった

その前のページもずっとそうだった

家族で撮った写真の合間に
何枚もの由美との写真があった

幼稚園の頃の遠足
二人で小さなシートに座って
おにぎりを持ってピースサインをしている写真

小学校の運動会
赤組の帽子を被った由美と
白組の帽子を被った剛が並んで写っていた
でも、ちっとも不思議じゃなかった

学習発表会の劇の写真
王様役の剛の白いタイツ姿と
お姫様役の可愛いドレス姿の由美が
少し照れくさそうな笑顔で写っていた

あどけない笑顔の二人の写真

この頃とは確かに何もかもが変わってしまっている

でも、少しも変わっていないものもあった事に
剛は気がついた


ふとカレンダーを見ると今日は7月6日だった

「そうか、明日は七夕だ」


 
翌日
学校が終わると剛は思い切って由美を訪ねる事にした


昨日の電話で上手く出来なかった返事
今も漠然とした言葉しか思いつかない

それでも由美に会いたいと思った

 

アパートの部屋のチャイムを押すと返事が聴こえた

文也だ

「先生? どうしたの?」

「うん、ちょっとね。 お母さんいるかな?」

「うん、ちょっと待ってて」


代わって由美が出て来た

「まぁ、先生。どうしたんですか?
 相変わらず狭い所ですけど入ります?」


「あっ、先生、いらっしゃい♪」

剛が居間に入ると由佳が走り寄って来た

「これ、由佳。 ちょっと奥に行っていてね」

「俺も奥に行ってた方が良いかい?」

文也が言った

「いや、一緒に話を聴いてくれるかい?」

「話って?」

「うん。ちょっとね」

「恐いなぁ〜 また、俺何かやったっけ?」

「あはは、いや違うよ。 文也の事じゃない」

そこにコーヒーを入れた由美が入って来た

「はい、どうぞ。
 いつもと同じインスタントコーヒーですけど」

「でもね、先生。
 お母さんの入れたインスタントコーヒーは
 超美味いんだよ」

「あぁ、そう思うよ」

「だろ?」

「そうだなぁ〜
 行きつけの喫茶店の渋いコーヒーよりは
 遥かに美味しいよ」

「先生、どんな喫茶店に行ってるのさ?」

そう言うと
剛と文也は顔を見合わせて笑った


「そう言えば、この前
 母さん、先生の事を剛君って言ってたよね?
 先生と知り合いだったの?」


丁度良いタイミングだったかどうかはともかく
どう話し出そうかと考えあぐねていた剛にとっては
文也のひと言は助け舟だった


「そうなんだ、実はね。
 と、言っても随分昔の話でね。
 先生もお母さんも小学生の頃の話なんだけどね」

「えー? そうだったの?
 何? そしたら幼馴染ってやつ?」

「そうなんだ」


剛は文也と由佳に幼かった頃の話を聴かせた
一緒に学校で遊んだ話
そして、由美が転校をする事になった時の話


「へぇ〜 でも、なんか良いね。
 お母さんの小さかった頃の話なんか
 あまり聴いた事が無かったから。
 お母さんにも小さかった頃ってあったんだね」

文也はいかにも面白いと言った風で笑った

「当たり前よ。
 お母さんだって昔からオバサンだった訳じゃないわ」

「で、これがその時の短冊。
 由美ちゃん、見せても良いかな?」

そう言うと剛は少し色褪せた短冊を
文也と由佳に見せた

「わー、素敵♪
 見せて、見せて!」

「ちょっと待てよ、俺が先だよ」


「先生」

文也が少し真面目な顔で訊いた

「なんだい?」

「先生って、確か独身だったよね?
 この短冊のせいで独身を通してたの?」

「いや、そんな訳でも無いんだけどね。
 実際、少し前までは
 先生もこれはアルバムに貼りっぱなしで
 忘れていたんだ。
 でも、いつからだったかな
 急に、夢を見るようになってね」

剛は夢の話を文也と由佳に聴かせた

「ふぅ〜ん」

「でも、ロマンチック〜♪
 もしかして、再会の予感だったのかしら?
 ねぇ、これって運命の再会?
 素敵♪
 で、お母さんはどうなの?」

「どうって、何が?」

「先生の事よ。
 今でも好きなの?」

「まぁ、何を言ってるの?
 お母さんはもう結婚をして
 おなた達のお母さんなのよ」

「でも、お父さんは死んじゃったし。
 お母さんだって未だ若いでしょ?
 先生はともかく
 誰か良い人がいたっておかしくないわ」

「ともかくはひどいな」

剛は思わず苦笑した

「までも、私はそれが先生なら嬉しいかな。
 だって、この前話をしているのを聴いていても
 なんか雰囲気良かったし。
 私もお父さんが欲しい。
 もちろん、本当のお父さんも今でも好きよ。
 でも、あんまり想い出が無いの。
 友達がお父さんと遊んでもらったって話聴くと
 やっぱり、寂しいもん」

「由佳・・・」

「由佳、お兄ちゃんがいつも遊んでやってるだろ?」

「でも、お兄ちゃんはお父さんじゃないもん」

「ごめんね、由佳。
 寂しい思いをさせていたのね」

「ううん、いつもじゃないわ。
 お母さんやお兄ちゃんといるの楽しいし」

「先生」

「ん? なんだい?」

「先生はどう思ってるのさ?
 母さんの事」

「文也・・・」

「いや、良いんだ。
 そうだなぁ〜 正直に言えば
 突然の再会に驚いている。
 まさか、こんな形で再会をするとは思わなかったしね。
 で、お母さんに会ってから
 色々と昔の事を思い出したよ。
 お母さんは俺に『昔とは変わった』って言った。
 確かにそうだ。
 いくら昔、仲が良くて一緒に遊んだって言っても
 それは昔の話だからね。
 それから、お互いに色んな事があっただろうし
 色んな事も変わったのかも知れない。
 今はただ、懐かしさで
 気持ちが揺れているだけなのかもしれない。
 そんな事も色々考えた。
 でも、変わってないものもあるって気がついたんだ」

「変わってないもの?」

「うん、どれだけ変わったにしても
 やっぱり、俺は由美ちゃんが好きだったって事。
 それが独身でいた理由では無かったかも知れないけど
 こうして、再会出来たのは
 単なる偶然じゃないと思っているんだ」

「お母さんはどうなのさ?」

「そうね・・・
 正直、今は分からない。
 お父さんの事だって真剣に愛していたし
 それは今も変わっていないわ。
 でも、剛君と再会して
 色々な話をしているうちに
 お母さんの中でも何かが変わって来た気もするの。
 それが何かは未だ良く分からないけど・・・」


文也は少し考えていた
父親の事
そして、今までの母親の事を


目を瞑って考えていた


沈黙は少しの間だったと思う
それでも、剛にはとても長く感じた

自分の気持ちには正直でいたい
でも兄妹の事を考えると
自分の気持ちだけを優先させる訳にはいかないと思った

何より、自分は文也の担任なのだ



やがて、静かに文也は話し始めた

「母さん。
 俺、父さんと約束したんだ。
 母さんと由佳を守るって。
 その時、父さんはもうひとつ俺に言ったんだ」


それは

”お母さんはこれからもきっと
 お前達の為に自分の身を削ってでも頑張るだろう

 お母さんはそう言う人だ

 だから、文也
 もし、お母さんの周りに良い人が現れたら
 お前がお母さんの背中を押してやってくれ

 そうじゃないと
 お母さんは幸せになれない

 父さんの事を忘れないのは嬉しいけど
 それでお母さんが幸せを逃したとしたら
 その方が父さんは悲しい”



「お父さんがそんな事を?」

「うん、父さんが亡くなる前の日も見舞いに行ったよね。
 お母さんと由佳がちょっと買い物に出てた時あっただろ?
 あの時に、父さんは俺の手を握ってそう言ったんだ」

「由美ちゃん、今すぐにとは言わない。
 でも、もし良かったら、少し考えてみてくれないか?
 夢を見たのもただの偶然とは思えないんだ」

「剛君、ありがとう。
 でも、主人の事は忘れられないわ。
 それに、夢は夢・・・現実じゃないわ。
 シンデレラの魔法が12時に切れたように
 夢が醒めたら
 何もかも無かったかのように消えてしまうわ。
 剛君はきっと夢で見た私に恋をしているだけなのよ。
 ううん、きっと懐かしさを恋と勘違いしているだけ」

「そう、確かに夢は夢でしかないかも知れない。
 でも、夢を見なくたって
 こうして由美ちゃんと出会っていたら
 きっと同じ風に言うよ。
 懐かしいからってだけじゃない。
 それにね、シンデレラの魔法は12時に切れたけど
 でも、ガラスの靴は消えなかった。
 何故だか分かるかい?
 それは、
 王子様がシンデレラにもう一度会いたいと願ったから
 奇跡が起きたんだ。
 もちろん、俺は王子様なんかじゃないし
 見た通りのさえない男かも知れない。
 でも・・・」


これからの事は分からない
先の事は誰にも分からない

でも、30数年の時を経て再び出会ってしまった二人

それが偶然であれ運命であれ
今、二人がこうして向かい合って座っているのは事実だ


考え込む由美

やがて、剛の目を見つめると言った

「ねぇ、来月のお盆のお墓参りに一緒に行ってくれる?
 文也と由佳と4人で」

「わぁ〜 ホント? やった〜♪」

由佳がはしゃいで奇声を上げた

文也は黙って微笑んでいた

「あぁ、もちろん、喜んで行かせてもらうよ」

「先生、この短冊、私にくれる?」

「えっ? 良いけど、どうするんだい?」

「今日は七夕だもの。
 ねぇ、お母さん。
 お父さんの仏壇の扉に飾っても良いかな?」

「ダメよ。 お父さんが焼きもち焼いたら困るでしょ?」

それを聴いていた文也が言った

「父さんも焼きもちって焼くのかな?」

「どうかしら?
 生きている時はそんな素振りは
 私には全然見せてくれなかったんだけどな」


「ねぇ、じゃ、この風鈴に付けて良い?」

由佳が嬉しそうに言った

「良いんじゃない?」

文也も笑って答えた
そして、由美に向かって言った

「もしかしたら、父さんかも知れないね」

「何が?」

「母さんに先生を引き合わせてくれたの」


その時
風に揺れて風鈴がひとつチリンと鳴った

 




































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