禁断(taboo) 〜気づいてはいけない〜









夜中にうなされて目が覚めた

「また同じ夢だ・・・」


この頃、頻繁に同じ夢を見る

何か得体の知れないモノに追われている夢


逃げても逃げても逃げ切れない

物陰に隠れてやり過ごそうとするけど
目を上げると・・・

慌てて這いつくばって
足がもつれそうになりながら必死で逃げる


「何故、俺は逃げているんだ?
 俺がいったい何をしたって言うんだ?
 誰が追って来るんだ?」


考える間もなく
ただ必死に逃げている自分


そして
自分じゃない”自分”が
追われて逃げ惑っている自分を俯瞰で見ている

恐怖に引きつった自分の顔を


現実と夢の狭間で
ある思いがふと胸をよぎる

「どっちが現実なんだろう?」


自分はただ
誰かの夢の中に存在している
ひとつの幻影に過ぎないのではないのか?





誰もが
自分の人生の中では自分が主人公だと思っている

世の中が全て自分中心に回ってるなんて
そんなおこがましい事は思っちゃいないけどね


でも

考えてみると
確かに
世の中は全て自分の見た目で映されている

事件も出来事も
自分には直接の関わりが無くて
ただ
“世の中で起きている”出来事として目に映っている


そして

誰もが自分と同じ目線で
世の中を見ていると思い込んでいる


でも、果たして
本当にそうなのだろうか?

自分以外の“人間”も
本当にそれぞれが自分と同じ人間なのだろうか?


自分の視界から外れた瞬間に
今まで見ていた人やモノはみんな動きを止めて
次の”出番”まで
舞台の袖でスタンバイしてるんじゃないのか?





コンピューターでも無い人間の記憶って
これほど曖昧なモノは無い

そして記憶は
歳を重ねる毎にだんだんと薄れていく

記憶とはそういうものだ


例えば、親や友人に確かめると
実はAとBを逆に覚えていたり
幾つもの記憶がごちゃ混ぜになっていたり
そう気づかされる事がある

それは例えれば
夢から覚めた時の朦朧とした記憶のように
不確かな過去の現実


でも

小さい時の事なのに
やけに鮮明に覚えている事もある

それも繋がっている記憶じゃなくて
断片的に覚えている記憶


それは本当に自分の記憶なんだろうか?

どうして3〜4歳頃の記憶を
50年経った今も覚えていられるのだろう?


”覚えている”と思ってるけど
それは本当に”現実”だったんだろうか?


嘘か本当か分からない写真をいつも見せられて
いつも話に聞かされて
そうしている中で
それらは自分の記憶なんだと思い込んでしまっているけど


それを自分が本当に体験した
間違いない”過去の現実”だと言う自信はあるかい?


もしも
それらが本当に自分の体験した現実だったとしたら
どうしてそこだけ鮮明に覚えているんだろう?


もしも
それらが本当は自分の体験した現実じゃないとしたら
誰が何の意図でそんな記憶を刷り込んだのか?





もしかしたら

人間は
神の作ったボードゲームの
ひとつの駒に過ぎないのではないのか?

自分以外の人間もまた
同じボードの上で踊らされている駒


神の振ったサイコロの目が人生を全て決めていく

それを駒は運命だと受け入れるしかない

成功者になるのもならないのも

天災、病気、事故・・・


それらは人生ゲームのマス目に書かれている
「人生の筋道」にも一致する





いや、ダメだ!

その事に気づいてはいけない!

































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