約束の日









「ありがとう。もうここで良いわ」

「あっ、あぁ。
 ごめん・・結局、俺はお前を幸せに・・・」

「何を言ってるのよ。二人で決めた事でしょ?」

遮るように典子が言った。


深夜バスのターミナル。
帰省シーズンでも
観光シーズンでもない11月の半ば。
しかも平日の夜とあってか
待合室の中は閑散としていた。

典子はバスの時刻表と腕時計を見比べると
大きなキャリーバッグを脇に置いて
待合室のベンチに座った。

俺は見るとも無しに窓の外を見ていた。


「もう大丈夫だから」

「あぁ。・・・もう少しいるよ」

「きりが無いよ。
 ねぇ、もしかして
 私が本当にバスに乗るか確かめたいんでしょ?」

そう言って典子は悪戯っぽく笑って見せた。

「いや、そんなんじゃ・・・」


十年が長いのかどうかは解らない。
人によっても
長いと言う人、短いと言う人に分かれるんだろう。
それでも
積み重ねて来た歴史はそれなりに重たいと思っていた。

永遠と言う言葉は信じていなかったにせよ
こんな形で終わりが来るなんて
十年前の結婚式の日には想像すらしていなかった。


”ホンのすれ違い”

俺にしてみればそんな言葉で済ませられる事も
典子にとっては大きな事だったのだろう。

俺は簡単に修正出来るとタカをくくっていた。
しかし
人の心と言うのはそう単純なものではなくて
一度掛け違えたボタンは
はめていく程にどんどん大きくズレていった。

結局、二人が出した結論は
一度、全部のボタンを外してしまう事だった。

せめてもは子供がいなかった事が幸いだった。
いや
もし子供がいたら結論は違っていたのだろうか?


「ねぇ?」

「ん?」

「幸せになりなよ」

「あぁ、お前もな」

「私はなるよ。うん、絶対になる」

「そっか」

「そうよ。だから・・・あなたもね」

「あぁ、そうだな。頑張るよ」

「ホントに頑張れよー、し・ん・ちゃん!」

笑いながらそう言って立ち上がると
典子は俺の肩をポンと叩いた。

その時、待合室の窓ガラスに
バスのヘッドライトが映し出されて
バスタッチにバスが入って来た事を教えた。

「あっ、バスが来たみたい。じゃ、行くね」

「うん。元気でな」

「しんちゃんもね、じゃ!」

典子はそう笑顔で言いながら
大きなキャリーバッグを引いて歩き出した。

心なしか俯き加減に見えたのは
まるで何かを
断ち切ろうとしているかのようにも見えたからだろうか?

と、典子は立ち止まると振り向いてこう言った。

「ねぇ? 三十年くらい経ったらさ。
 私達、良いお茶飲み友達になれるかな?」

「お茶飲み友達?」

「うん。愛だの、恋だのじゃなくってさ。
 天気の良い日は何処かのカフェのテラスかなんかでね。
 『今日の紅茶はいつもより薄くないかい?
  ケチってるねー』とかさー(笑)
 『こう暖かいと関節痛が出なくて助かるねー』
 なんてね。
 日向ぼっこしながら他愛も無い話で時間を潰すの」

「なんだそれ?
 そんなのが良いのか?」

俺は思わず苦笑をした。

「だって、なんか良くない? そう言うの」

「そうだな。良いかもな」

「ねぇ、初めてデートをした場所って覚えてる?」

「えっ? あ、あぁ。美山町の高台を上った展望台だろ?」

「さぁっすがぁー。気ぃ遣いしぃのしんちゃん!」

「茶化すなよ」

「約束はしないけどさ。
 もし、三十年後も元気でいれたらね。
 しんちゃんの誕生日に私、あそこに行ってみるよ。
 あっ、別に覚えてなくても良いからさ。
 正直、私も覚えていられる自信も無いし。
 もしかしたら、もうボケちゃってるかも知れないもん」

「お互い様だけどな」

「あはは、そうだね。あっ、じゃ、行くね。遅れちゃう」

「あぁ。気をつけてな」

「うん。ありがとう」


そう言ってバスに乗り込んだ典子は
もうこっちを見る事もなくただ前だけを見ていた。



あの日から丁度三十年。
今日は俺の六十七回目の誕生日だ。

典子との初めてのデート。
それは
結婚をする前だから、もう四十数年前の事になる。
この場所で夕日に赤く染まった街を
二人していつまでも飽きずに見下ろしていた。

どんな話をしたかなんて覚えてはいないけど
ただ、あの時に俺はもう
典子と結婚をすると心の中で決めていたのだ。
それはハッキリと覚えている。


俺達が十年間一緒に暮らした街。
昔は無かった大きなマンションや団地が幾つも建って
ここから見下ろす風景も随分と変わってしまった。
それが三十年と言う時の流れなんだろう。

やがて
空の色が青からオレンジ色へと
そのグラデーションを濃くしていくと
街も徐々にその表情を変えていった。

あの日と変わる事の無い時間が緩やかに流れていく。

「あぁ、キレイだ・・・典子、見えるかい?」


典子が来ない事は知っていた。
いや、今日ここに来れないと言う事を。

今年
典子の親友だった加奈子からの年賀状に添えてあった一言。

”ノリは優しい家族に見守られながら天寿を全うしました”

癌だったと後で聞いた。


それでも俺が今日、ここにどうしても来たかったのは
典子に届けたい想いがあったからだ。

約束はしてないけど
でも、俺はちゃんと忘れてはいなかったと伝えたかった事。

そして、もうひとつ。

俺がいつか”そっち”に行ったら
その時は茶飲み友達として想い出話しでもゆっくりしよう。

そう伝えたかったから。




































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