桃の花をひと枝、飾る 2014









「死んだ子の歳を数える」
そんな言葉がありますが
子供だって死んだ親の歳を数えます。


母が亡くなって
あれからもう二十三年。
生きていたら
今日で八十一歳の誕生日を迎えます。

享年五十八歳。

後、一年半程もしたら
私も母親の年に追い付きます。


自分がその歳に近づくにつれ
今更ながらに
こんなに若かったんだと思い知らされます。



「忘却とは忘れ去ることなり。
 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

大昔の有名なラジオドラマの冒頭の
余りに有名なナレーションの一説です。

もちろん
大事な人、愛した人が亡くなって
何年経とうが忘れることはありません。

ただ
いつまでも思い出す度に悲しんでばかりでは
亡くなった人だって悲しむだけです。

そこに至るまでの時間の長短はあるにしても
人はいつか自分の心の中に
故人の想い出の仕舞い場所を見つけます。

それは忘れる為の作業ではなくて
悲しみを受け入れる為の作業なのかも知れません。

悲しみを受け入れることで
初めて心に区切りをつけることが出来るのです。

そして
何かキッカケがあった時
そこで心の仕舞い場所からそっと出してきては
故人を懐かしんだり偲んだりするのです。

故人の好きだった歌を聴いた時だったり
故人の好きだった花を見かけた時だったり
それは故人との想い出の場所だったり
或いは季節だったり
もちろん、命日だったり
そのキッカケは人によっても違うでしょうし
又、幾つもあるでしょう。

私にとっては
母の誕生日である今日が
そんなキッカケになる日のひとつでもあります。

なので毎年この日に決めて
同じタイトルで母のことを書いています。

(何故、命日では無いのか?
 それに関しては過去に何度か
 ここで触れていますので割愛します)

 *ホームページ『夢の樹舎』内
  <エッセイ>のコーナーに
  過去タイトルを掲載しています。



子供が生まれた時から
子供にとっては親は親です。

私も親としてのと父と母しか知りません。

奇しくも
父と母の若い頃の一端を知ることになったのは
母が最初の入院をしていた頃でした。

その時の事は
『夢の樹舎』の中にも載せています。


  「手帳」
    ↓
http://yumenokisya.web.fc2.com/short_story/tetyou.htm


そして今
親になった自分を思い返してみると
学生時代、社会人になっての独身時代から
ここに至るまでは色々な事がありました。

たくさんの後悔や心の葛藤。
様々な出会いや別れ。


きっと
そんなこともたくさん有ったはずなのに
母はそんなことを億尾にも出さず
毎日、家族の為に
笑顔で
そして黙々と働いていました。


その母の歳に
もう少しで追い付こうとしているのに
私は
そんな風に強く生きられているんだろうか?


「ねぇ?」

そっと空を見上げて母に問いかけてみる。

今年も又、心の中に
桃の花をひと枝、飾りながら・・・

































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